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書く原動力は面白い作品と読んでいて思わずカッと悔しくなる作品だった。
小説を書き始めてから今まで、原動力だったのは、
××のような作品を書きたいな~という気持ちだった。
面白い作品はたくさんあって、
それ以上につまらない作品もたくさんある。
私は基本面白いものしか食っていない感覚でいるが、
単に創作物の摂取量が少ないだけだと思う。
でも、最近ではなんだこれ? って作品にも当たるようになった。
キャラクタのロジックに辻褄が合わなくて解釈違いを起こしたり。
物語の根幹を握る設定に謎の制約があって、
その意図が最後まで説明がされないと「なんで?」ってなる。
似た思いを抱いているのは、私だけではないはずだ。
そういうとき、きまって悔しくなる。
一番悔しいのは。
題材がエモい。けど、構成がつまらないときだ。
私のほうがもっと素材の味を生かして調理できるのでは? という怒り。
怒りが原動力になって、気づいたら1本、筋書きができていることも。
でも、やっぱり面白い作品を目で、耳で、鼻で、肌で吸って得られた恍惚感には勝たない。
机の周りには積ん読本の山がそびえ立っている。
最近、本を読むのも億劫になるくらい、生きることに疲れていた。
読みたい本は、私の読書スピードを待ってくれない。
今日はこれまでにして、本を読もう。
最近は、谷崎潤一郎『痴人の愛』、川田戯曲『推しが俺のことを好きかもしれない』を読んでいる。
読み終わったら、伴名練『なめらかな世界と、その敵』と、伊藤計劃『ハーモニー』、円城塔『Self-Reference ENGINE』を読もうと思う。でも、上記3作はKindleで買ったので、物理本で斜線堂有紀『恋に至る病』、江國香織『ウエハースの椅子』も読む。斜線堂有紀は『楽園は探偵の不在なり』も積んでいるのでそっちも読みたいがこれはKindleで買ったんだった。
KindleにDMMbooks、bookwalkerにも積ん読がたくさん残っている。物理でも部屋に溢れかえっている。
本を読むことに集中できない数年間を過ごしてきたが、耳にイヤホンをぶっ刺してモーツアルトやワーグナー、要はクラシックを流し続けながら、照明をやや暗めに設定していると没頭できることが分かった。
人の雑音が苦手らしい。
モーツアルトを聞いたのは、『LEON』のノーマン・スタンスフィールドの影響が強い。
今度はブラームスも聞いてみよう。もちろん、ベートーベンは前奏だけ。