見出し画像

2021年、夏。社会人1年目、毎日noteを始めよう。

 昔から、物語を書くことが好きだった。
 自分で作った物語の世界は小規模ながら、私をワクワクさせてくれた。
 でも、文章を書くことは苦手だった。
 長らく、私は自己満足の物語を書いてきたから、他人に見せるための文章、というのを気にも留めていなかった。

 最近、創作関連の趣味を持ちたい、という友人と話した。
 その子は、小説の書き出しを書いてみて、そこで筆が止まってしまったという。
 どんなお話が書きたかったのか、と聞いてみた。
 彼女は、高校生、青春モノで…でも、「どうすれば面白くなるか」が分からない、と答えてくれた。

 正直、言葉に詰まった。
 何かを書く前に、まず自然に「他人から見たときの面白さ」を追求しようとする姿勢に圧倒されてしまった。

 友人との何気ない会話から、面白さの指向性について、深く考える機会を頂いた。
 すなわち、「自分が書いていて楽しいもの」か、「他者が読んでみて面白いものか」

 私は、物語を書く、という行為は自分だけの遊び場を持つようなものだ、という考えのもと、長らく小説を書いてきた。
 昔から友達が少なかった私は、自創作に籠もることで自他を切り離していたのかもしれない。
 物語を書く、という行為にはそういう箱庭的な側面もあるのだろうが、結局、そのようなものが周りに響かないことが多いと思う。
 
 初めてまともに小説を書き上げたのが大学3年の春。
 その作品を幸運にも、そこそこ多くの人が褒めてくださったことで、徐々にオーディエンスを意識した作品作りをするようになった。周りを見ていると、自然と周りから見られる自分も意識するようになる。
 周りを意識するようになって気づいたのは、「自分の文章が下手だな」「他人を楽しませる物語を作るための勉強が足りていない」という自覚だった。考え方が180度近く変われば、求めるものも千差万別なので致し方無いと思う。
 
 小説を書き始めてなんやかんや10年が経つ。
 人に読んでもらう物語を書くスタートラインに、ようやく立つことができたのだろう。

__

 私は今、社会人1年目で、日々の忙しさや職場の人間関係に揉まれている。
 正直、周りを意識することを意識してこなかった自分には、苦くも、新しい経験ばかりの日々だ。
 新しい経験を知ると、その経験に対する感情が出力される。
 そのときどきの考え方は押し花にしておきたいと思う。
 しかし、いつしか、忙しさを言い訳に書くことから遠ざかっている自分がいた。
 これはまずいぞ、と冷や汗が流れたので、短い夏休みを頂いた今、こうして筆を執っている。

__

 書く内容は散文と日記だ。日々感じたことを生きたまま表現したい。
 そのうえで、最低限のルールは設けることにした。

1. 毎日更新
2. 400文字以上

 昔から継続した努力が苦手で、何事も3日坊主になりがちだった。
 どうして行き詰まるんだろうな。答えは簡単だった。
 課す目標が高すぎるのだ。(ex.毎日3000字書くぞー!→3日で断念)
 理想を持つのはいいことだろうが、その理想に潰されてはいけない。
 内省した結果、無理のない文章量を最低ラインにした。
 1時間で書けるラインが2500字だけど、書く時間は多く取れない。
 15~30分で無理なく続けられる最低ラインかな? ということで、原稿用紙1枚分の400文字に設定。

 私の悪癖として、後先考えず突っ走ってしまう、というものがある。
 間違えても初日から5000字ドーン!とかしないでほしい。
 

 noteを始めることで劇的に何かが変わるわけではない。
 自分には突出した知識もなく、ただ思ったことを散文として出力することしかできない。
 変わっていく思想や、
 巡りゆく人生の季節を、ありのまま残すことが私にできる唯一のことだ。
 そして、もしも、私の書いたもの、感じたことに触れて、少しでも喜んでくれる人がいたなら、私はきっと嬉しいと感じるだろう。

 2021年8月、ちょっとだけ背伸びをしてみようと思う。


 2021/08/08

いいなと思ったら応援しよう!