多忙に呑まれ、休みたいとか、趣味の映画鑑賞に溺れたいとか、襲いくる渇望に背中を押され駆け出しても、所詮は大分母の上で踊る他愛もない一粒子。浮かびくる分子はどれも取るに足らないほど小さく、すべてが見かけ倒し。虚勢を張るスピッツみたいで、強面ならぬ小型犬の強声その内側で、本音が怖さでぶるぶる震えている。休息は単調ゆえすぐ飽きるし、映画鑑賞欲求だって、欲望を使い果たし目盛りがゼロを示せば観る気は失せる。
分母は、能動的な社会貢献の行動全域で構成されている。社会貢献と対価の循環が幾層にも積み上げられ、不動の地位を築き上げている。逃れられる脆弱性はなく、暮らしを全域にわたって支配する磐石の布陣でできている。
利己的変更や調整、意義はいっさい受け付けてくれないが、逃避なら可能だ。だが離脱はすなわち社会的死を意味する。
噂話はよく多忙者の反動隠居は墓場に直結と能天気に歌うが、あながち阿呆の戯言とは言えない。真意を覗けば、冷酷な現実に諦観を滲ませている。
毎朝、割り切れることのない矛盾に哲学し、今朝もまた本音をキュッとネクタイ締めて封をして、出社の準備に取りかかる。