音邑音音 (おとむら ねおん)otomura neon
いつも大きくて立派な扉ばかり見せられてきたように思う。 深く考えることなく、大きくて立派な扉ばかり追いかけてきたように思う。 だけどいつもうまく開けられるわけじゃない。 ある日、見立たぬ物陰の通用門に気づく。 扉は軽く、ふれただけで開く。 その先に同じものがあるかどうかはわからない。 だけど、中には入れる。 あと戻りもできるから、試しに入ってみたら……。 そんな思いで描いた「絵のことば」。
楽譜を図解で理解する、楽譜を読むのが苦手な方のためのピアノ・レッスンです。 独学でも「必ず弾ける!」ようになります。 敷居の低いピアノで、あなたもピアノを弾いてみませんか?
【更新情報】2021年9月6日、第2刷をリリース。 お買い求めいただいた方は第2刷にバージョンアップしていただけます。 これに伴い、第1刷の販売は終了いたしました。 函館に旅をするためのものではありません。 函館の景色に、人に、出来事に、心がかすめたことがある方にこびりついた思いの軌跡、そんなはがすにはがせない瘡蓋みたいな燻りを、遠くに置き去りにしてきたみたいになっている思い出を、掘り起こし、今いちど手のひらに広げてみて、愛で、味わってもらえたらいいなあ、という思い
「こんな感じ・・・かな? ねえ、似てる?」 吾輩は、人間が上から目線で見下ろすほど、実は下等ではないのだよ。黙して語らずならぬ、猫撫で声でしか語らず。行動をもって自己を表わすのみ。 にゃご。
「ねえ、まだ飼ってくれないの? また餌をくれるだけ? これだけなついてあげたんだもの、そろそろ責任とってよね」
「獲物にしては小さ過ぎる。食べても腹の足しにはならないだろうしなぁ」 何事も『初めて』には考えるスイッチを入れる力がある。
追いかけても捕まえられなかったあの人みたいに、君はすんでのところで身を躱して逃げていく。思い描いたオアシスは、遠くに見えても近づくと逃げていく、そんな蜃気楼にも似た存在。肩に手をかけられる! と胸高ならせても、手に実感は残らず、結果は肩透かし。暖簾を腕で押すのと同じで、感覚は残滓を手にしているのに君を捕まえるにはいたっていない。 付かず離れず、君はもらいながら距離を置く。 君はぶら下げられたニンジンで、僕は馬だ。駆けても駆けても、胴体にくくりつけられた竿の先のニ
「世の出来事なんて我関せず。世間で起こる事件なんて、私にゃほとんど無関係なんだもんね」 「世捨て人(猫)なんかじゃない。捨てられてこうなったのさ」 環境が人をつくる、猫をつくる。 だけどその環境は一朝一夕にはつくれない。 誰かがやるまで待つのも選択肢。自分の手に負えるもんじゃないと傍観するのも選択肢。変えるための一歩を踏み出すのもまた選択肢のひとつなんだけれどもね。
何もしない、何も考えない日は瞬く間に過ぎるけど、時間を惜しみ空白を残さない生き方を選べば、過ごす時間は深くもなり、濃くもなる。 「退屈などしとる暇はないわい。今日もまた滋味深い1日が始まるのじゃわい」 昨今の老人は、天に召されたばあちゃんの世代とは違う。長寿を負担とすり替えてお迎えが来る日を指折り待つなんてことはしない。長寿を授かり物として享受し、旅仲間が迎えに来るのを心を弾ませながら待っている。 「おーるず・びぃ・あんびしゃす、なのじゃ」
「練習したてでうまく泳ごうなんて、おごっていますよ」と、プール付きの先生は言う。教室のない時間帯は指導にあたることなく、先生は監視兼任で来館者に適宜アドバイスを行っていた。 「まずは右手で3回、左手で3回。息継ぎなしでここまでやってみて」 バタフライはずっと憧れていた泳法で、投稿サイトやGoogle先生に教えを乞い、頭では理解したつもりでいたのに、見るとやるとでは大違いで、遅々として最初の一歩さえ踏み出せない状態だった。 クロールや平泳でさえ労多くしてまともに前に進まな
「おまえまた店の煙草ば黙って持ってきよるが。ほんなこつ腹のたつ」と叱られていた鉄矢少年もやがて立派な大人に育ち、金八先生となって補導される側から指導する側の人となった。 かつての少年は歌った。 ♪ いつも聞こえるあの母親の声、僕に人生を教えてくれた〜 やさしいおふくろ 私たちは前を向きながら後ろを振り返り、常に何かを囁き続けている。 私たちの囁きは、じわりと体の枠から染み出して、不覚にも外に漏れ出している。 私たちの囁きは、聞かれている。 かつてノー
うちの猫は一般的な猫と明らかに他の猫とは違う。初聴で記憶に刻み込む奇妙な声を発する。 おにょおぉん。 小さな「ぉ」のあとに半角の音引きが混じることもある。聞き慣れれば聞き分けられる微細な違いだが、そのわずかなニュアンスで伝えてくることが違っているからややこしい。 おにょおぉ-ん。 どうやら何やら文句を口にしているようだ。なになに? 人の個性で遊ぶな、ですって? 猫なのに、自分のことを人の個性と言い表す。賢いのか、生意気なのか、はやまた勘違いも甚だしいと言うべきか
怖いもの見たさは、世の常、人の常、猫の常。 知らなかったことを知りたくなるのも人の常、猫の常。 だから恐る恐るパンドラの箱を開けようと試みる。 好奇心は素敵だ。 だけど、ほどほどにしとかないと、尻尾を巻いて脱げ出すハメになることも。 ケガを負ったら、好奇心は仇となる。 それでも知りたや、好奇心。 ちょっとくらいの火傷ならまっいいか、くらいの覚悟でパンドラの箱に手をかける。 このようにして人類、猫類は今日もまた1日分、進歩する。
「あの太田神社宮司の娘さんだってよ」 『ほお。東京の会社でバリバリやってるって聞いてたけど、戻ってきたのかい?』 「そうよ。ちっちゃい頃からお転婆で野原を駆け回っていたっけな」 『そうだそうだ。干し柿なんかも、よく持っていかれたっけなあ』 「可愛いところがあってさ、断ってからひとつもいでいくんだよ」 『そうそう、おじちゃん、ひとつもらってくわって声がして、なんだ? ってなもんで縁側に出ると、わかりやすいところの干し柿がひとつ消えているんだわ』 「憎めない娘だったなあ。で、いつ
『今食べておかずして何とする』とは神のお告げだったか、悪魔の囁きか。それとも本能が導いた結果への後悔からか。あの時はたしかに食欲増進応援歌が耳鳴りのように鳴り響き、背中を押していたっていうのに、人生、楽しんだ分だけきっちり苦しむことになる。なんてったって結果がこれだもの。 毎年のことなれど、今年もまたやっちまった。食いすぎ注意の食欲の秋の、甘い文句の食い過ぎに、張り出たお腹の見事な育ちよう。注意1秒、肥満⚪︎ヶ月。あわよく肥満が解消できたとて、季節はめぐりダイエット目標達成
「 アメリカではガラスの天井がある意味、ハリスさんの行く手を阻んだんだろうね」 そんな意見も耳に届いてくる。 ヒラリーさんの時にも同じことが囁かれ、そういや日本での講演を聞きに行ったことを思い出した。 女性のリーダーがいてもいいじゃん。あたしゃ仕事場においてずいぶん助けられたけどね。女性性による突破の巧みさ、肝っ玉かあさんのような寛容でいて狡さがない潔白性、キョンキョンみたいな男前の女性上司もいたっけな。不思議なことに公明正大に曇りのある女性は上司になっていなかった。
自分に酔うことがある。 だって、猫なんですもの。 男前って言われることがある。 それはそれでイヤじゃない。 でも、乙女であることに変わりはないのよ。海に落とした指輪を見つけるように、どうぞ私を探し出してくださいな。そしてどうぞつかまえてごらんなさい。狂おしく思えるほど私を想って想ってもっと想って追いかけてきて欲しいのよ。 どんなに潔くふるまおうが、私は女。 つかまえて欲しいけど、つかまったままでいたくない。縛られるのはイヤだから、背中にまわしたその腕をする
好奇心は身を助けることがある。 だけどときに火傷する。 猫も歩けば棒に当たる。当たるのは棒の親玉、電柱だけど。 このように好奇心は諸刃の剣。 気をつけよう、甘い儲け話と、虚の督促メール。 振り込むな、そのお金は振り込んだが最後、二度と戻ってくることはない。 酸いと甘いを使い分ける諸刃の毒牙に踊らされてはいけない。毒牙の剣は偽物だ。切られても傷つかないことに早く気がづこうじゃないの。 その好奇心、アブナすぎ。渦中に飛び込んでみたいですって? やめときな。