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濃縮されるその前に。

 よくわかっているかと問われればそうでもないのに、担がれた神輿に乗せられ煽てられ、調子に乗ってうっかり引き受けてしまった老人スマホ個別相談会ボランティア客員教授。スマホのことなどよくわかっちゃいないけど、行ってみたら、案の定、相談者はもっとわかっっちゃいなかった。もっとわかっちゃいなかったことは、教える側にとってはありがたかったけど、相談者にしてみれば死活問題、その振れ幅は両手を広げた幅なんてものじゃないほど広い。

「庭に咲いた花、LINEで送ってと妹が言う」と困り顔のかつての少女。どうすればいいのかわからない。困ってしまってニャンとかしたい。
 や、
「すぐに確認しないとクレジットカードが使えなくなるとメールが届いた、どうしよう」と眉間に皺を寄せるかつての紳士。
 LINEは「スマホを貸して」で、ああして、こうして。
 クレカは一目瞭然「詐欺だから」。
 中には、スマホのスの字にさえ踏み入らず、スマホをテーブルに置いたまま「昔はパソコンで苦労したものよ。MS-DOSって知ってる?」と、相談にきたはずが相談させようと胸を張る強者までいらっしゃった。「すごいですねえ、よくご存知ですねえ、ご苦労なさったでしょう」を連呼してたら、ご機嫌になって帰っていかれた。

 老人と聞くと漠とした文字イメージが湧く。「静」だったり「控」だったり「頑」だったり「幼」だったり。社会という世界を一周して戻ってきたようでもあり、放られた輝石が描く放物線の終盤戦のようでもあるそれらは個性の色を放ち、その色彩はどれもが煮詰められ、濃ゆくなっていた。大先輩方の濃色に接して、若いうちは世間の風に薄められ、他色とふれあい混ざりあい、好き嫌いは別にして手に手を取るようにやっているのだということに気づかされた。
 その大先輩方に風は「気を遣うのにも遠慮するのにも時代が違うよ」と歌い、手に手を取る必要に迫られなくなったことに気づき、よぶんな色を排斥してしまったんだ。ここに我本来を晒すゆえんがある。

 大衆で生きる現役時代が多彩で多様でいられるのも、中和されているからこそ。濃くなる前に、世間の荒波をもっと泳いでおきたいものだ。
 そのひとつのウェーブとしてのボランティア。老人たちをスマホ使いの波にうまく乗せてあげることができるだろうか。月一の小イベント、今月中旬に第二回目を迎える。

【クラウドだけど雲の上の存在じゃないよ】

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