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セミはカメか?

 セミは亀だ。いちどひっくり返ると、なかなか起き上がれない。二足歩行するわけじゃないから肉体的構造からすれば立ち上がるわけではないのだけれど、背と腹を正常位置に戻せずもがいている。
 オスならジジジとそのジレンマを声に出し、己の無力に絶望と苛立ちを露わにしていたことだろう。だがそこにいたカメのセミは、美声を発する共鳴器官を持たないメスだからそうはいかない。不甲斐なさを発声で発散できないから、宙に向けられた6本の足はあるはずのない大地を探し、臼がそば粉を挽く速度でモゾモゾ6肢をまわすことになる。そんなメスの辛抱強いおしん的行動を観察していると、終わりのない無駄な抵抗によく飽きないものだと感心する。

 亀と違ってセミには羽があるのだから、そいつを使ってどうにかすればいいものを、個体差があるのか、ただただ足をモニョモニョするか、オスならジジと焦れた声を発するだけでもがく個体のなぜか多いこと。
 羽を使えよと声をかけてやるも、セミははなから聞く耳など持っちゃいない。聞くのはメスのオスからの求愛声だけである。
 羽を使えばいいんだ! 頭を使えよ! そう教えてやると、セミ、どっちを使えっていうのさ? と目から軽蔑を発して舌打ちしてきやがった。

 やれやれ。

 仕方なく救いの人差しを差し伸べてやる。すると、待ってましたとばかりにしがみついてくる。指を掴むセミは、九死に一生を得た安堵を顔に浮かべている。

 こちとら散歩に割いた余暇な時間で遭遇したアクシデント、とはいえ当てた時間にセミの救出までは計算に入れてはいなかった。のそのそ人差し指上を歩くセミに「もういいかい?」と聞くも、やはりセミは聞く耳を持っちゃいなかった。まあだだよ、と返してはくれない。

 仕方ない。

 余暇な時間に立ち寄る算段の図書館に着いちまったじゃないか。その図書館前に、銀杏の街路樹があった。そこ、だった。銀杏の木の幹にその小さな命を預けてやるってのはどうだ。我ながらグッド・アイデアだと思った。善行が心を浄化し、窮地は命拾いへと状況を変える。一石二鳥だった。
 人差し指の先端に向かうセミの鼻をちょこんと幹にあてた。

 こぅこ(此処)だよ。
 
 セミはまるで文盲が文字を指でなぞるように前足で幹を確かめてから、プラットフォームで電車を乗り換えるみたいにして指から幹にその躯体を移していった。
 その亀並みの愚鈍な動作では、通勤時間帯だったなら1本乗り過ごしてしまうほど焦ったくはあったけど。

 じゃあな。

 あとはセミの自己責任において行動してもらうとしよう。セミはしがみついた銀杏の幹を登り始め、僕はコロッセオの観客席状に地階に降りていく階段を下って図書館に向かった。

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