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【楽器の手招き-1】二胡
小学校時代の帰り道、見上げる窓辺で弾いていたアイツの二胡の音がずっと残っている。尾を引くといういつまでも感ではなく、手の届かないものの存在が共鳴し、日増しに増殖していく募り積もっていく思慕。音の世界に飲まれているのではない。胸をきゅっと絞る切なさが、たわんだゴムチューブのように波打ちながら広がっていく。たゆまぬ二胡の旋律(調べ)が切れない糸となり、この身にまとわり、絡め取られ、深みに引きずり込まれていた。
大人になってアイツを量販店のテレビ画面でたまたま見かけた時、郷愁が時間のトンネルとなって、子供時代とつながった。心の感涙が感動の泉となって溢れ出て止まらなくなった。
アイツはプロの二胡奏者になった。日本という異国にやってきて、言語の壁に阻まれ友だちを作らずにいた小学生時代、アイツは二胡を奏でることで誰かとつながろうとしていた。言葉という知識習得の末に取れるコミュニケーションを踏みつけ、得体を音に乗せ、「ワタシはここよ」と話しかけ続けていた。
テレビ局に連絡して、アイツと会うことも考えた。だけど、友だちを作らずにいたアイツが僕のことを覚えているかどうかなんてわかったもんじゃない。それに日本はアウェイで、本拠地を中国に戻しているかもしれない。テレビに映った演奏姿からでは、プロの二胡奏者以外の情報は何ひとつ見えなかった。
もうひとつだけわかったことがあった。演奏が明るくなっていた。幼子の音色が悲しみの手を救いに差し伸べていたのに、大人の音色は二胡のくせに芯の強さを形作っていた。しなやかなれど、それゆえ鞭のようにしなり、堅牢な結界を張って傷つきやすい内臓を守っているたような音を出していた。
今はもう、子供時代に伸ばしていた悲しみの手は見えない。逞しさにエールを送った反面、僕の知るアイツではなくなっていたことに寂しさが広がっていった。
音色は、声だった。「私はもうだいじょうぶ」力強く、そう言っているように聴こえた。インパクトのある肉声だった。
僕は何を追いかけていたのだろう? 哀しげで儚い二胡の音色だったろうか。それともアイツを、だったろうか。
今まで楽器という高尚な趣味になど興味はなかった。それを翻したのは、楽器は肉声だと強烈に意識させられたから。
言いたいことを飲み込んで、経済循環の邪魔だてはしないようにこれまで努めてきた。その反動が背中を押したのかもしれない。
僕にもきっと、言いたかったことが言える。楽器を介せば、僕も表現者になれる。迂闊にもそんなふうに真剣に思ってしまったのだ。
楽器店に行くのは羞恥が壁となって憚られた。アイツが踏み込めなかったものを、僕は楽器でなぞっている。
ネット通販しようにも選択の基準さえわからなかった。判断するための足場がないと、何ひとつ決められない。振り返れば、そんなのばっかりのこれまでだった。だけどアイツは、きっと何もかもを自分で決めていったに違いない。勝手な思い込みかもしれなかったけれど、アイツは自分の声を音に変えて発していた、これは紛れのない現実だ。そのどこに、第三者の導きの手が介入できる余地などあっただろう。
僕は恥じた。自分で開拓できない大人になっていたことに。
無尽蔵に湧出させることのできる言い訳を駆使して、楽器をやろうだなんて血迷いごとを掻き消してしまうこともできた。購入する前なら、いつだってやめられる。だけど今諦めてしまえば、僕はきっと心の声を表に出さずに閉じていってしまうだろう。
やらずに投げ出す自分を想像したら、ちんまりまとまるどころか社会の荒波に呑まれ見えなくなってしまうそんな自分のケツを蹴り飛ばしたくなった。
やはり、楽器で声をあげてみようと思う。
少し調べて、小さな足場を作った。手入れに手間はかかるが、琴筒にニシキヘビの皮を使った本物にしようと決めた。
教本と合わせて、少しお高めの二個をポチった。調律はネットから音を拾える。耳がその基礎的所作についていけるかどうか心配だったが、どうにかなるだろう。
楽器が届くまで、演奏の基礎を調べた。弦を張る指遣いも体に覚えさせる必要がある。
僕は二胡で声をあげる。その声がいつかアイツに届かないかなという淡い期待が脳裏を駆けていった。
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