「あ」
なに? その感嘆符。
閃いたの?
それとも、忘れ物?
まっさらななまこ壁に一筋のカタツムリを大発見したみたいな「あ」。そんな「あ」に直面することってある。
何なに? なにごと?
「あ」を投じられると、中身を知るまで気か気じゃなくなる。それって一大事の鐘の声?
なんだろう? どんなことがその「あ」を言わせしめたの?
気になる。
ところが、体裁やら気遣いが通せんぼで立ちはだかって、なかなか「なに?」とは問えない。
あ、から連想せしめるものといえば……。
あ、じき大型連休だ。
そうだ 京都、行こう。
くらいしかない。
でも、チコちゃんじゃないけれど、たいがいの「あ」の着地点は、これまでの経験からなんとはなしに知っている。打ち上がった「あ」は空気が抜けてく風船みたいに尻すぼみ。多くの「あ」は能天気に大気に拡散し、消えていく。とくに深い意味はなく、少し経つと何事も起こらぬうちに確かに完結する。
下手な考え、だったのか?
脈絡のない閃きは、休みに似たりの愚考、だったのか?
これでいいのか?
これでいいのだ。
「あ」の末路の大半は、呆れられて口をへの字に結ばれる。「ん」
これを人は「阿吽の呼吸」と定義した。
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