【思いつき】作品内で殺されるキャラクターに尊厳はあるのか

小説や漫画、アニメや映画で人が死ぬのは日常茶飯事である。それは、敢えて言えば作者が殺しているわけだが、殺されるキャラクターにはなんの尊厳もないのだろうか。反語としてではなく、積年の疑問としてシンプルに問いたい。

例えば、ピーター・ジャクソン監督の『キング・コング』や漫画『キングダム』に見られたこのような場面(以下うろ覚えの記憶に基づき記す)。夜、焚き火かなんかをしていると、人物Aが主人公の隣にやってきて、「いやぁ、実は俺田舎におふくろを待たせててさ…」みたいに自分語りを始める。勘の良い現代の読者ならそこで「死亡フラグ」という言葉を思い浮かべてしまうのかもしれないが、「ふつうの」読者はその人物Aに感情移入する。夜が明けるやいなや、そのAはあっけなく殺されている…。だいたいこのようなパターンである。

私はこれが非常に嫌なのだ。作者の手のひらで気持ちを転がされているような気がして。よって冒頭の問い「殺されるキャラクターに尊厳はあるのか」については、暫定的には「感情移入が発生した時点で、ある」と答えてみたい。もちろん作劇の都合上人物を死なせることで物語を進めることがあるのはわかるし、作者が殺人をしているというつもりなどは毛頭ない。だが例に挙げたようなパターンに関しては、完全にそのキャラは殺されるためだけに自分語りを始めたのであり、そういう演出ってどうなの、というのは言いたい。

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