エッセイ「蓮實重彦と“縁”について」
(以下の文章は資料ではなく記憶に基づいて書いているため、一部記憶違いがございましたらすみません)
黒田夏子が「abさんご」で早稲田文学新人賞を受賞したときの、選者の蓮實重彦の言葉が印象的だった。それはおおよそ以下のようなことである。「候補作のどれもが“文学”に似ている。似ようとしさえしている。その中で黒田さんの作品だけが“文学”に似ていなかった」。人が「文学」と聞いて漠然とイメージするものに、なぜ自ら寄せていってしまうのか。そんな憤りが蓮實の言葉からは感じられた。それとともに、黒田の作品の例外的貴重さが絶賛されている。自身の手書き原稿をハサミで切ってテープでくっつけて作品の形にしたと述べる黒田は、のちの対談で蓮實に「応募規定の欄が他の賞と違って自由で。それだから応募してみようと思った」というようなことを述べていた。たしかにワープロ何百枚、とかいう規定だったら「abさんご」は早々と弾かれていたかもしれない。蓮實自身が三島由紀夫賞をとった際にも「わたくしの作品は相対的に優れているに過ぎないが、黒田さんの作品は絶対的に優れている」と賛辞を惜しまなかったが、少なくとも応募規定を「自由」というふうに設けたのは蓮實のほうで、彼の側からなんらかの機縁を呼び込んだとも言えるだろう。
以下も記憶違いがないといいが、青山真治の追悼文「青山真治をみだりに追悼せずにおくために」で蓮實は自身にふりかかったある出来事を回顧していた。それは青山の訃報を聞いてがっくりと肩を落とし、ソファに腰掛けたまたまテレビをつけたらとあるテレビドラマのようなものがやっていた。数十秒見てその出来栄えの只事でなさを直覚した蓮實は急いで調べると、それは大九明子という人が監督したものだ。さらに調べると彼女は青山真治の教えを受けた人であるらしい…。
以来蓮實は、日本映画界での推し監督を聞かれると、ことあるごとに大九の名前を出している。世界ではデヴィッド・ロウリーとケリー・ライカートの二人を強くプッシュしているのはよく知られたとおりだ。ここにもなんらかの機縁が感じられる。
蓮實には「厄介な「因縁」について」という谷崎論もあるが、「因縁」なくしてゴダールの家まで行けただろうか。すべてはたまたまだろうか。私は他人事ながら、そうは思わない。機縁というのは必然のことだ。「SmaSTATION」という番組で、北野武と蓮實の対談映像が映った際に、俳優の勝村政信が蓮實のすごさを香取慎吾になんとか説明したくて、「ゴダールの家まで呼ばれちゃうほどの人なんですよ」と言うと、そもそもゴダールがピンときてない様子の香取がポカンとするという場面は、今思い出してもクスリと笑える…。
それはいいとして、小説家、磯崎憲一郎が明かした「次は二十世紀小説論を書きたい」という言葉が実現してくれるのを楽しみに待っている。