おふくろにはかなわない?!
「乙女ちゃんには、、、『母になる』っていう喜びはやってこないのかなって思っていたんだよ。。。」
そう、父に言われたことがある。
私たち夫婦にはなかなか子どもが授からず、私の両親も少し諦めていたところがあったのだと思う。会うたびに「子どもはまだか?」とか「子作りはどうした?」とか色々言われていた頃もあったが、それも次第になくなってきていた。
▼なかなか「ママ」になれなかった・・・
結婚して7年、長男シシオがお腹にやってきてくれて安定期を迎えた頃、夫・ウシオと二人で実家に行き、報告した。
やっと宿った小さな命。ものすごく嬉しくて、私は泣きそうになりながら報告したのだが、それを聞いていた父も泣きそうになっていたのを今でも鮮明に覚えている。
「乙女ちゃんには、、、『母になる』っていう喜びはやってこないのかなって思っていたんだよ。。。」
その時そう言われて、ずっと心配をかけていたことを改めて感じたし、このお腹の中の命を何が何でも守り抜くぞ!という決意を、改めてした日にもなった。
そんな父が、最近、たまたまの会話で、何気なく言ったこの言葉。
「子どもにとって『おふくろ』ってね、なんだろう、特別なんだよな。きっと世の中の、特に男って、自分が死ぬとき最後に思い浮かべるのって『おやじ』ではなく『おふくろ』なんだと思う。これは何だろうね、分からないけれど、絶対的に『おふくろ』なんだよ。」
コロナ禍で色々と心配なこともあるけれど、【子どもたち(シシオ・ヤギオ)にとって、お前の存在は“特別”で“絶対”なんだよ!頑張って!】ってことを伝えてくれたのかな?って思う。父なりの、私宛へのエールなのかもしれない。
そんな父の言葉がしっくりくる作品に、実は今年、私は出会っている。
「えいっ」
さく / 三木卓 え / 高畠純
理論社
(厳密にいうと、私が出会ったのは小2の国語の教科書に掲載されていた「えいっ」であるが、上記の絵本で読むこともできる。)
街の中で、くまのとうさんとくまの子どもが信号待ちをしている。「信号を青にしてあげる」と言うとうさん。頃合いを見計らって「えいっ。」と言うと、信号は青になり、子どもはえらく感心する。
とうさんはその後も、タイミング良く「えいっ。」と言って空に“星”を出してみせたり、自動券売機にお金を入れて「えいっ。」と言ってボタンを押し、見事に“切符”を出してみせたりした。
・・・その様子を見ているうちに、くまの子どもは「えいっ」のからくりに、気づく!!
「今度『えいっ。』をやってみようかな」と言うくまの子ども。
「ぼくのいちばんすきな人を出すよ」そう言うと、「えいっ。」の言葉と共に自宅玄関のベルを押す。
中から・・・「おかえりなさい」と<かあさん>が出てきた!!!
「えいっ。」のからくりを見破って、マスターしたくまの子どもは、とっても満足そうである。<かあさん>が出てきて、「なるほどね」と言うとうさんの言葉でこのお話はお終い。とうさんと子どものほのぼのとしたとある日の光景だが、最後、何とも言えない気持ちになったのは私だけだろうか?
くまの子が「いちばんすきな人」は、<かあさん>だったという、この、オチ?。
隣でそれを目の当たりにしているとうさんの気持ちを思うと・・・不憫でならない・・・。こんなに仲良く楽しく街に出かけていたのに、帰宅時に待ち構えていたのは、「いちばんすきな人」=かあさん、という告白。。。
「子どもにとって『おふくろ』ってね、なんだろう、特別なんだよな。きっと世の中の、特に男って、自分が死ぬとき最後に思い浮かべるのって『おやじ』ではなく『おふくろ』なんだと思う。これは何だろうね、分からないけれど、絶対的に『おふくろ』なんだよ。」
そう言った父の言葉がふと思い出されるこの作品。やっぱり子どもにとっては、生んでくれた“母”って、特別な存在なのかなと感じる。
女性だけができる、神秘的で、偉大な出産。成し遂げた後には、子どもからの「いちばんすき」という嬉しいおまけが、もれなく付いてくるのかもしれない。
でもね、私は思うのだ。
このくまの子の「いちばんすきな人」は、きっと2人いると。
「かあさん」と「とうさん」。きっとこの2人だ、と。
「いちばんすき」が2人いたって、いいではないか。
「えいっ。」というたった1つの言葉で、こんなにもお出かけを楽しくしてくれるとうさんを、くまの子が「いちばんすき」にならないわけがない!
20201205