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ネッコとわたし
完全に気分のムラで記事を書いている私だ。やあやあ元気かい。私はというとようやく肋骨がくっついてきたのか、くしゃみをしても悶絶しなくなった。ベッドから起き上がる時のアクションも少なくなった。
しかしだね、肋骨を折ってからというもの、安静を言い渡されて来る日も来る日も天井を見ていた日々。そんな時に限ってとにかくいろんなことがしたくなってしゃーない。妄想が捗るのだ。
とはいえ体がついてこない。ベッドの向きを変えようにもくっつききってない肋骨が粉々になりそうで怖くてできん。そう、ベッドの向きひとつがストレスである。頭の向きを逆にしたい。
肋骨をおってからというもの、普段は旅行の時しか使わない猫のフードを供給できる自動給餌器という機器に頼っているのだけど、安物だったからなのかうちの猫は気づいてしまったよね。
「エッ。これ出口カリカリしたら延々とごはん出てくるやんけ!!オカン要らずや!」
そこからが私と猫との戦いである。猫はそこまでバカじゃない。私が叱ってるのはわかるし、やっちゃダメなことを自覚してる。それでも悲しいかな、大食いの本能には勝てぬ。
給餌を終えてからも爪でカリカリカリカリ…ガタガタガタガタ…
コロッ!
パクッ
カリカリ…
「やめなさい!」
この繰り返しである。骨が折れて3週間。いい加減この攻防に疲れた私は腹立たしさのあまり給餌器を撤去した。
が。リビングの向こう、ドアを隔てたキッチンに置いたのだけど、毎日の猫アタックが厳しめだったのか継ぎ目から割れ、餌がどんどん出てくる…こわれたらしい。
私は打ちひしがれた。あふれ出すフード。散乱するフード。足の裏にくっつく臭いフード。さらに、給餌器を隠されたことで「あたして」テーブルの上の紙パックのミルクティーを倒す猫。もうこりごりだ。キッチンの掃除をする気になれず、ミルクティーまみれのラグだけ拭き、疲弊した身体をいつものごとくベッドに横たえた。
そして回想した。うちの猫が壊してきた私の愛したものたちを。一点物のマグカップ、恋人とおそろいのマグカップ、片思いしてたあの子から貰ったマグカップ…
カップばっかりじゃねえか。
いや他にもあった。ハンドメイドの6000円くらいしたテラリウム、旅先で買った思い出のキャンドルホルダー、一目惚れして買った今使ってるラグ。無印良品の羽毛布団。座り心地の良かった座椅子。今となってはいかんともしがたい壁紙(これは私が爪とぎの躾をしくじったせい)
それらをダメにされた時、私は猫を許してきた。そもそも許すとかそういう次元ではないのかもしれん。だって猫だもの。そこにあったら叩き落としたくなる。見たことない新入りにはちょっかいかけたいもの。それが野生の本能で、猫を飼う覚悟をしたとき諦めたはずだった。
なのに、今日はシンディー。どこの外国人かと思った?とにかくしんどいのである。
愛情のかけらもない声で猫の名前を怒鳴り、叱りつけ、怯えさせ(※今猫はあっけらかんとしている)私は猫に与えられてきたものを忘れてしまったのだ。
無償で…いや、フードと引き換えに与えられるぬくもりやおひさまのにおい、眠りを誘うような、ゴロゴロと鳴る喉の音。確かに私は猫にとってライフラインのひとつに過ぎないのかもしれない。私しか頼れないから懐くのかもしれない。
メンヘラで身内も恋人もいない陰キャな私が今日まで生きてこれたのはこの猫のおかげなのに、私はチラッと思ってしまった。
猫と離れようかな。猫もその方が幸せなんじゃないかな。飼ったからには最後まで責任を持つつもりだが、チラッとよぎったのは本当。
これからも猫は私の大切なものを壊すだろう。えさがほしいあまり折れた肋骨をフミフミするだろう。ゴミをあさるし隙あらばテーブルの上の飲み物をこぼすだろう。
それをこれからも受容できるか。それが私の猫だからと、声を荒らげることなく抱きしめられるか。しかしながら唯一の家族と別れたあと、私はとんでもなく自暴自棄に生きるし、人生嫌になったらさっさと死ぬだろう。
私は自分が生きたいから猫と暮らしているのか?
逆だ。猫がいるからこそ生きている。
これからもやはり器の小さい私は猫に怒鳴るだろうし、猫は私の思うようにはならない。
また離れることを想像してしまうかもしれない。そのほうがあなたのためだからなどと、都合のいいセリフとともに。
こんな私を許してくれるか、フク。
幸福な猫になりますようにとつけた名前だ。
私と幸せになってくれるか。