魔法少女の系譜、その43~『ラ・セーヌの星』と口承文芸~
今回も、前回に続き、『ラ・セーヌの星』を取り上げます。
『ラ・セーヌの星』は、魔法少女ものではありません。にもかかわらず、取り上げた理由は、前回に書いたとおりです。「魔法の登場しない魔法少女もの」と言える作品だからです。
『ラ・セーヌの星』には、魔法のような、超常的な要素は、登場しません。この作品で、魔法の代わりになっているのは、剣術です。
ヒロインのラ・セーヌの星ことシモーヌは、剣術の達人です。剣術でもって、悪人を、ばったばったと倒してゆきます。
ヒロインのシモーヌは、魔法少女ではありませんが、戦闘少女だとは言えます。
『ラ・セーヌの星』の放映当時―昭和五十年(一九七五年)―には、戦闘に参加するアニメのヒロインは、非常に珍しい存在でした。
では、口承文芸の中には、シモーヌのような、戦闘少女は、いるのでしょうか?
極めて少ないですが、まったくいないとは、言えません。
ただ、戦闘「少女」と言えるかどうかは、微妙なところです。少女というよりは、「大人の女性」に近いです。
例を挙げてみましょう。日本の口承文芸には、鈴鹿御前【すずかごぜん】というヒロインが登場します。
鈴鹿御前については、いくつもの、互いに矛盾する情報が、伝えられています。もとは、鈴鹿峠のあたりに実在した盗賊が、モデルになったようです。ただし、その盗賊は、性別不明です。
その盗賊には、信仰していた女神がいました。鈴鹿峠のあたりの、ローカルな女神だったようです。その女神と、盗賊とが同一視され、「女義賊の鈴鹿御前」が生まれたらしいです。
鈴鹿御前は、武力をもって戦う女性とされることが多いです。武力以外に、神通力―要するに、魔力と同じですね―を持つとされることもあります。どの伝承でも、「戦闘する女性」であることは、変わりありません。
有力な説の一つでは、鈴鹿御前は、都への貢ぎ物を奪い取る盗賊だったといわれます。直接、貧しい民衆を狙わないところに、義賊の片鱗が見えますね。
鈴鹿御前の最期については、「盗賊として(あるいは、鬼女などとして)討ち取られた」説と、「討ち取りに来た将軍と恋仲になり、夫婦として添い遂げた」説とがあります。
死してのち、鈴鹿御前は、社に祀られて、「鈴鹿峠を往来する旅人の守護神」として、崇敬を集めたといいます。これは、源泉の一つである、鈴鹿峠の女神の社が、鈴鹿御前の伝承に、吸収されたものでしょう。
こうして、武勇をふるう盗賊でありながら、民衆の味方でもある、鈴鹿御前のイメージが、形成されました。
鈴鹿御前は、美しい女性として描写されることが多いです。けれども、少女というよりは、大人の女性ですね。有力な説の一つで、将軍と夫婦になり、子供まで、もうけていますから。
「若くして討ち取られた」説でも、死んだ時には、二十代だったとされることが多いです。
とはいえ、鈴鹿御前は、ラ・セーヌの星の、遠い先祖の一つと言えるのではないでしょうか。
少女ではないにしても、それに近い二十代の「戦闘する女性」で、しかも、民衆の味方の義賊なのですから。
ラ・セーヌの星ことシモーヌも、物語の終わりのほうでは、二十代になっています。
戦闘少女の話になったついでに、紹介しておきたい口承文芸があります。
『白蛇伝』です。中国の口承文芸です。
『白蛇伝』については、以前に、『魔法少女の系譜』シリーズで、言及しましたね。
以下の日記の、末尾のほうで、少し、触れています。
魔法少女の系譜、その11~『魔法のマコちゃん』と異類婚姻譚~
https://note.com/otogiri_chihaya/n/ne13a309cdd8c
上記の日記では、言及しませんでしたが、『白蛇伝』のヒロイン白娘子【はくじょうし】は、「戦闘する女性」とされることが多いです。彼女の場合は、武力ではなく、魔力をもって戦います。
白娘子の正体は、一千年を生きた白蛇の精です。長く生きたために、魔力を身につけ、人間の美しい女性に変身して、白娘子と名乗ります(ヒロインの名前は、白娘子でないこともあります)。白娘子は、許宣【きょせん】という人間の男性―こちらも、伝承により、許宣という名前でないことがあります―と恋に落ちて、夫婦になります。
そこへ、法海【ほうかい】という僧侶が現われて、白娘子の正体を見抜いてしまいます。白娘子と許宣とは、仲を引き裂かれます。怒った白娘子は、魔力を駆使して法海と戦い、許宣と再び一緒になろうとします。が、最後には、法海に、塔の下に封じ込められてしまいます。
魔力をもって戦う白娘子は、「戦闘する女性」であり、「魔法を使う女性」です。少女でないというだけで、はるか後世の日本の「戦闘少女」と「魔法少女」の条件を、ほぼ完全に備えています。
『白蛇伝』は、日本のアニメ史に、大きな足跡を残しています。日本初の劇場用長編アニメ映画の題材になったのです。映画が公開されたのは、昭和三十三年(一九五八年)のことでした。
当時、テレビは、まだ普及していません。ネットも、もちろん、ありません。普通の人が映像を見る手段と言えば、事実上、映画しかありませんでした。
アニメも、黎明期です。まだ、アニメという言葉が一般化していなくて、漫画映画と呼ばれていました。
そんな時代に、子供用の娯楽作品として、初めて作られた長編アニメ映画が、『白蛇伝』でした。
日本のアニメは、その黎明期から、「戦闘(少)女」かつ「魔法(少)女」を登場させていたわけです。現在に至るおたく文化の隆盛を見るにつけ、なんと、予言的なことでしょうか。
なお、このアニメ映画『白蛇伝』は、のちに宮崎駿監督となる少年に、強い衝撃を与えたことが知られています。この映画を見て、宮崎少年は、将来、アニメの仕事をすることを決意したそうです。
このように見てくると、数が少ないながらも、口承文芸の時代から、「戦闘する女性」がいたことは、はっきりしています。
しかし、それは、「戦闘する大人の女性」であって、「戦闘少女」ではありません。わずかな違いのようですが、この差は、意外に大きいかも知れません。
ここに突っ込むと、話が長くなってしまいます。「少女」というものの成立を、論じなければならないからです。
この問題は、とりあえず、保留にしておきましょう。
今は、「口承文芸の段階では、『戦闘する大人の女性』は生み出せても、『戦闘少女』は作れなかった。このあたりに、口承文芸の限界がありそうだ」とだけ、書いておきます。
今回は、ここまでとします。
次回も、『ラ・セーヌの星』を取り上げる予定です。
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