魔法少女の系譜、その22~『ふしぎなメルモ』と口承文芸~
今回も、前回までの続きで、『ふしぎなメルモ』を取り上げます。
この作品と、伝統的な口承文芸とを、比べてみます。
ヒロインのメルモちゃんは、魔法道具型の魔法少女ですね。「赤いキャンディーと青いキャンディー」を食べることで、年齢を進めたり、戻したりできます。
魔法道具のキャンディーは、食べ物ですから、どんどん、なくなってゆきます。使える回数が限られている魔法です。
「使える回数が限られた魔法」が登場する口承文芸は、たくさんあります。
有名なのは、「三つの願い」でしょう。世界各国に、同名のお話が、いくつもあります。場所によっては、「四つの願い」や「五つの願い」になることもありますが、回数は、圧倒的に「三つ」が多いですね。
「三つの願い」の大筋は、以下のとおりです。
ある人が、三つの願いごとをかなえる魔法道具か、魔法を使える人物(妖精など)と出会います。喜んで三つの願いごとをするのですが、一つ目と二つ目の願いごとで、困った事態になります。欲をかき過ぎるか、考えなしに願いをかけてしまうかするからです。
三つ目の願いで、元に戻してもらうようにします。結局、最初と何も変わらないことになります。
例えば、『アラビアン・ナイト』に、そのものずばり、「三つの願いごと」という話があります。下ネタですが、シンプルでわかりやすい話ですので、例に挙げさせて下さい。
ある男性が、日頃の良い行ないの代償として、三つの願いごとを叶えてもらえることになりました。一つ目の願いごとで、男性は、自分の性器を大きくしてくれと願います。ところが、巨大になり過ぎてしまいました。
そこで、二つ目の願いごとで、小さくしてくれと願います。すると今度は、小さくなり過ぎてしまいました。
三つ目の願いごとでは、元に戻してくれといいます。男性の性器は、元どおりになりました。
口承文芸の「三つの願い」では、このように、「欲をかき過ぎるな」や、「今の境遇に満足せよ」といった教訓が含まれます。
まるで、「魔法なんて、この世にないんだから、地道に、普通に生きるしかないんだよ」と言われているようです。
欲をかきがちな普通の人に対しては、正しい教訓ですね(笑)
『ふしぎなメルモ』には、そういった教訓は、まったくありません。
メルモちゃんは、魔法を、自分のためではなく、他人のために使うことが多いです。自分の欲望を叶えるためではなくて、困った人を助けるために使うんですね。
口承文芸の主人公は、願いごとを、自分の欲望のために使います。自分の欲望に引きずられて、結局、失敗します。
ここに、ポイントがあります。
たとえ魔法が介在しないとしても、他人のために働く人は、英雄(ヒーロー/ヒロイン)ですね。英雄が活躍する話は、英雄話です。普通の人に対する、教訓話には、なるはずがありません。
メルモちゃんは、立派な魔法少女のヒロインでした(^^)
視聴者の予想どおり、キャンディーはなくなって、メルモちゃんは、普通の大人の女性になります。
けれども、それは、口承文芸の「元の木阿弥」とは、違います。
キャンディーの力によって、メルモちゃんは、さまざまな体験をします。それらの体験は、メルモちゃんを成長させるのに、大きな力を発揮しました。
おかげで、彼女は立派な大人になり、良き母親として、子供を育ててゆくであろうことが、示されます。
『ふしぎなメルモ』は、口承文芸の範囲からは、まったく外れた、現代的な創作物語です。
ここまで読んだ方は、『ふしぎなメルモ』が、ひたすらに清く正しく美しい、子供の教育番組と思うかも知れませんね。
が、実際に見ると、突っ込みどころが多いアニメでもあるのです(笑)
例えば、メルモちゃんは、母親が死んだ後、弟二人の面倒を見ながら、子供たちだけで、暮らしています。
父親は、いません。母親よりも先に、父親は死んでいることになっています。
現実には、あり得ませんよね。小学三年生を筆頭にする子供三人だけで、暮らし続けるなんて。
母親代わりに家事をこなして、小学校にもちゃんと通っているメルモちゃんは、それだけでスーパーヒロインだと思います。
そのうえ、キャンディーで魔法を使って、人助けまでするなんて(*o*)
キャンディーの効果に個人差がある点も、突っ込みどころです。
同じように、赤ん坊をキャンディーで少年にしても、中身が赤ん坊のままだったり、逆に、普通の少年のように会話できたりします。ちょっと御都合主義です(笑)
突っ込みどころが多くても、愛された作品だと思います。愛されたからこそ、平成十年(一九九八年)になって、リニューアル版アニメが作られたのでしょう。
今回は、ここまでとします。
次回も、『ふしぎなメルモ』を取り上げる予定です。
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