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魔法少女の系譜、その143~『チャームペア』の超常的な要素とは?~


 今回は、前回の続きです。セイカのぬりえシリーズ『チャームペア』を取り上げます。第一期の『リリー&マリー』と、第二期の『キャシー&ナンシー』ですね。

 まずは、前回の補足です。
 前回、『リリー&マリー』には、魔法は登場しないと書きましたね。それは、確かにそのとおりです。
 ところが、『リリー&マリー』には、「魔法」が登場しないのに、超常的な要素はあります。しかも、それは、のちの魔法少女ものに通じる要素です。

 『リリー&マリー』の二人のヒロインには、それぞれ、ペットがいます。リリーのペットは、オウムのココで、マリーのペットは、ネコのムーですね。
 ヒロインたちのペットとは別に、パウロというイヌが登場します。パウロは、イヌなのに服を着ていて、帽子をかぶり、パイプをくわえています。二本脚で立って歩き、人間の言葉をしゃべります。人間に飼われているのではなくて、木の上で、独立して暮らしています。
 要するに、野良犬なのですが、「服を着て言葉をしゃべるイヌ」なんて、明らかに、超常的な存在ですよね。のちの魔法少女もののマスコットを、ほうふつとさせます。
 ちなみに、オウムのココとネコのムーは、普通の動物です。

 パウロの服装で、気づいた方がいるでしょう。パウロは、シャーロック・ホームズを意識して造形されています。設定では、「探偵きどりのイヌ」とされています。
 超常的なイヌなのに、パウロは、違和感なく、ヒロインたちに受け入れられています。

 『リリー&マリー』が活躍していた時代には、まだ、魔法少女にマスコットは、必須の存在ではありませんでした。むしろ、マスコットのいる魔法少女のほうが、少なかったです。同時代の『魔女っ子チックル』にも、大場久美子さん主演の『コメットさん』にも、マスコットは、いませんでしたよね。
 放映当時は、「魔法少女もの」だと思われていなかった『タイムボカン』シリーズには、毎回、マスコットが登場しました。二〇二〇年現在の「魔法少女もの」に、マスコットを定着させた源流は、『タイムボカン』シリーズあたりにあるのかも知れません。これについては、まだ、結論が出ていません。

 こういう時代、昭和五十年代前半―一九七〇年代後半―に、『リリー&マリー』に、パウロという「超常的なイヌ」が登場したのは、興味深いです。
 パウロは、『リリー&マリー』の中で、そんなに活躍したわけではありません。ただ、「変てこでかわいい」存在として、登場させていたようです。
 直接、ヒロインのペットではないところも、独創的ですね。ヒロインの気持ちがどうあれ、独自の思惑があって、独立して行動します。この点も、のちの「魔法少女もの」のマスコットに通じます。
 「魔法少女もの」に、マスコットが定着する前だからこそ、作品の中で、いろいろ試行錯誤されていたのだと思います。

 前回の補足は、ここまでとします。

 『チャームペア』シリーズは、『リリー&マリー』も、『キャシー&ナンシー』も、伝統的な口承文芸からは、離れた存在です。前回に書きましたとおり、先行する創作物語や、当時の芸能界の影響が、大きいですね。
 伝統的な口承文芸には、そもそも、「複数の女子のバディもの」が、極めて少ないです。皆無ではありませんが、存在を考慮しなくてもいい程度の数しか、ありません。

 『キャシー&ナンシー』の場合は、キャシーが男装の麗人である点が、より、口承文芸との隔たりを感じさせます。
 口承文芸にも、「男装する女性」は、登場します。けれども、それは、彼女自身の意志ではなく、何か、やむを得ない事情があって、男装します。
 口承文芸のヒロインが、男装するのは、一時的なことです。普段から、男装しているわけではありません。一時的に男装していたヒロインが、最後には、美しい女性の姿になって、ヒーローと結ばれるのが、「お約束」です。

 キャシーは、違いますね。彼女が男装するのは、彼女自身の意志によります。彼女にとっては、男装が普段着です。剣を習っているのも、彼女の意志のようです。かわいくして、男性に好かれようなどという姿勢は、みじんも見られません。
 つまり、キャシーは、自分の服装も、生き方も、周囲に合わせたり、誰かに押し付けられたりするのではなく、自分で決めています。たいへん現代的な女性です。
 昭和五十年代前半―一九七〇年代後半―の日本では、キャシーの造形は、斬新なものだったと思います。当時の女性は高卒か、短大卒が「普通」で、学校を出て数年働いたら、結婚して専業主婦になって、夫と子供の世話をするものとされたそうですから。

 そのうえ、キャシーは、「妖精を呼ぶベル」を持っています。魔法道具型の魔法少女ですね。
 貴族の娘で、男装の麗人にして、先祖代々の魔法道具を持つ魔法少女なんて、二〇二〇年現在に持ってきても、面白い設定でしょう。昭和五十年代前半―一九七〇年代後半―としては、盛り過ぎくらいの設定です。

 キャシーをこういう少女にしたのは、『リリー&マリー』よりも、もっと対比のきいた少女のペアにしたかったからでしょう。女の子らしい女の子のナンシーに対して、男の子っぽい女の子のキャシーというわけです。
 キャシーとナンシーとの関係は、『ベルサイユのばら』の、オスカルとロザリーとの関係を思わせます。

 オスカルは、『ベルばら』のヒロインですね。男装の麗人で、剣の名手です。このあたり、キャシーへの影響が、強く感じられます。
 ただし、オスカルは、最初は、自分の意志で、男装したり、剣を習ったりしたわけではありません。父親の意志で、そうされました。
 のちに、オスカルは、父親に、自分がそのように育てられたことを感謝します。そして、「普通の女性に戻る」ことを拒否して、自ら、厳しい「軍人としての道」を選びます。彼女もまた、「自分で、自分の服装や生き方を選ぶ」女性になりました。

 オスカルは、ある時、ロザリーという平民の女性と知り合います。ロザリーは、平民として育ちましたが、じつは、貴族の血を引く娘でした。オスカルは、ロザリーの実の母親(貴族の女性)探しに協力することにして、彼女を、自分の家に住まわせます。
 『ベルばら』の舞台の十八世紀フランスでは、貴族の娘が、よその貴族の家に、行儀見習いに行くのは、よくあることでした。そこで、オスカルは、ロザリーを、「よその貴族の家から、行儀見習いに来た娘」ということにして、ロザリーと同居します。
 オスカルとロザリーとの関係は、連載当時の基準で見ても、二〇二〇年現在の基準で見ても、ほほえましいものでした。二人とも良い人で、互いの立場を思いやっていました。
 オスカルが、並みの男性以上に格好いい男装の麗人で、ロザリーが、平民育ちの素朴な美人という点が、『キャシー&ナンシー』に似ています。
 キャシーにオスカルの影響があるのは明白ですが、ナンシーにロザリーの影響があるかどうかは、確証がありません。

 『リリー&マリー』はともかく、『キャシー&ナンシー』は、アニメ化して欲しかったなと思います。設定が面白いので、普通にそれを生かして作れば、けっこうウケたのではないでしょうか。
 「女子二人バディもの魔法少女」である『魔女っ子チックル』が、大ヒットしていたら、『キャシー&ナンシー』も、アニメ化されたかも知れませんよね。同じ「女子二人バディもの魔法少女」ですから。
 残念ながら、『魔女っ子チックル』は、そこそこヒットで終わってしまいました。

 『魔女っ子チックル』に続いて、『キャシー&ナンシー』がアニメ化されて、大ヒットとまでは言わないにしても、普通にヒットしていたら、日本の魔法少女の歴史は、変わっていたでしょう。二〇二〇年現在の『プリキュア』シリーズのように、複数の魔法少女が登場する魔法少女アニメが、もっと早く発達したのではないでしょうか。
 『プリキュア』シリーズの初代は、『ふたりはプリキュア』で、やはり、男の子っぽい女の子と、女の子らしい女の子との組み合わせでしたよね。

 また、二〇二〇年現在の目で見ると、『キャシー&ナンシー』は、「百合」っぽいです。『美少女戦士セーラームーン』における、天王はるかと海王みちるのような関係も、もっと早く、魔法少女もので取り入れられたかも知れません。

 まあ、実現しなかったアニメ化を、あまりどうこう言っても、仕方ありませんね。
 ここでは、「そういう可能性のある作品があった」ことの指摘に、とどめておきます。

 じつは、『リリー&マリー』も、『キャシー&ナンシー』も、ちょっとだけ、アニメ化はされていました。テレビCMで、リリーもマリーも、キャシーもナンシーも、アニメで登場しました。リリーとマリーには、台詞もありました。キャシーとナンシーには、台詞はなくて、歌に合わせて、二人で踊っていました。
 セイカのぬりえは、昭和五十年代前半―一九七〇年代後半―の頃には、新作アニメをテレビCMに使うほど、勢いがあったんですね。

 『キャシー&ナンシー』は、一九八〇年代までシリーズが続くほど、人気がありました。もし、何かがうまく運んでいたら、本当に、アニメ化されていたかも知れません。
 つくづく、「こういうのは、運だよなあ」と思います。きっと、紙一重の差で、魔法少女の歴史が変わってしまったんでしょう。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『チャームペア』シリーズを取り上げます。



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