もっと早く出会いたかった!最高のエンパワーメント小説 瀬尾まいこ『天国はまだ遠く』
私はこの小説を、仕事で上手くいかなくて縮こまっていた頃の自分に読ませたい。
現代社会に疲れた主人公が、田舎の大自然と人の温かさに癒される……そんな物語は数あれど、私にとって、こんなに明日を生きる力になった小説は初めてだった。
本作は、主人公の千鶴が自殺を試みるところから物語が始まる。仕事がうまくいかず追い詰められた千鶴は、誰も自分のことを知らない場所に行き自殺すると決める。とある山奥の村にやってきた彼女は、その村唯一の民宿「民宿たむら」で睡眠薬をやや多めに服用し、自殺を試みたのだった。しかし自殺は失敗。いつもよりよく眠れた千鶴は、すっきりして、死ぬことを辞める。仕事も自宅もきれいに片付けてきたし、携帯の充電器もない。手元には貯金120万円と、必要最低限の荷物のみ。完全に自由に過ごせる時間と場所を手に入れた千鶴は、その日から自由気ままに暮らし始める。
……第二の人生が始まる予感がして、ワクワクしないだろうか。ここから本作は、私の想像はるかに超える素敵な世界をたくさん見せてくれた。
中でも特に好きなポイントが、「主人公の清々しいわがままさ」と「田村さんと千鶴の関係性の変化」、そして「自然の描写の素晴らしさ」だ。
1.主人公の清々しいわがままさ
そもそも千鶴はなぜ自殺するほど追い詰められてしまったのか。それは仕事で結果が出せず、そのせいで周囲から責められている"ように感じてしまった"からだ。そう、千鶴は誰かに直接責められたりいじめられたりしたわけではなく、ただ周囲の目を気にするあまり、休みたくても休むことができず、ついに自殺をするに至ったのだ。つまり、彼女はもともと、わがままとは対極にある価値観で生きている人だった。
しかし、山奥の村という隔離された場所で、田村さんという"気に入られなくてもいい相手"と過ごすうちに、相手にどう思われるかを気にせず、自分がどうしたいのかをちゃんと主張するようになる。
不思議なもので、相手に気に入られようとせず自分に正直に生きた方が、人間は魅力的になる。千鶴はこの地で、どんどん自分を解放しわがままになったことで、魅力が弾け、周囲の人と嘘のない素敵な関係を築いていく。
私は最初、千鶴の営業時代の苦労話に共感して胃がキリキリしていたが、どんどん変わっていく千鶴ののんきな明るさに引っ張られ、自分の気持ちを取り戻した。のんきで、なんだかんだポジティブで面白い、最高の主人公なのだ!
2.田村さんと千鶴の関係性の変化
田村さんというのは、千鶴が自殺の場所に選んだ「民宿たむら」のオーナーだ。民宿という名前がついているものの、長い間誰も泊まっていない、民宿というよりただの田村さんの家である。田村さんはそこで野菜を育て鶏を飼い、たまに漁にでて好きな魚を釣るという生活をしている。
田村さんは、千鶴が自殺に失敗したと聞くと「あそこなら失敗しない」と自殺の名所を勧めたり、千鶴が自殺するに至った仕事の話を聞きながら寝てしまったりする。興味のない相手に対して興味がない態度を自然にとれるおおらかな人で、最初の頃の千鶴とは正反対である。
そんな二人は、だんだんと仲良くなり結構いいコンビになっていく。一緒に色々な経験をしていく情景はとてもキラキラして見えて、「こういう、そのままの自分で心から楽しめた思い出って、その後の人生で踏ん張れる土台になるんだよなあ」と思いながら読んだ。その情景は、私の心にあった同じようにキラキラした瞬間も思い出させてくれたし、今の私は自分に正直になれているか?と、考えるきっかけを与えてくれた。
3.自然の描写の素晴らしさ
自然の描写が多いのも本作の特徴だ。風景としての自然の美しさもさることながら、自然のものを食べる数々の食事シーンが私は大好きだ。料理のメニューはシンプルで、どれも新鮮な「地のもの」を使っていて本当に美味しそう!
一方で、自然のものをいただくというのは、命をいただくことでもある。美しい、美味しいだけではない、自然と共存する中で避けて通れない残酷さも描写されている。苦しい場面ではあるが、苦しさでいっぱいになることなく、その責任と感謝をきちんと受け止められたのは、千鶴ののんきさと田村さんのさっぱりした態度のおかげだと思う。
本を読んでいるだけなのに、干し草の匂いや湿った草木の質感が、手から伝わってくるようだった。なんで自然に触れるってこんなに解放的な気持ちになるんだろう。読みながら、早起きして田舎道を散歩したような、心地よい疲労感を感じた。
全体を通してずっと楽しくて美しくて、太陽の下を歩いたような、ほかほかと暖かくなる読後だった。ちょっと大きなことも書いてしまったが、難しい小説ではないので、構えずに読んでほしい。きっと、読む前よりちょっとわがままになって、そのままの自分で明日を生きる勇気が出るはずだ。