八重山旅行記①
旅の始まり
東京から石垣へは直行便の飛行機に乗れれば昼前には到着する。
沖縄那覇経由だとしても昼過ぎには到着だ。
便利な世の中である。
ちなみに冬の飛行機は強い偏西風のジェット気流の影響を受けるので、東から西へのフライトは向かい風となりかなり時間を要する。
私が石垣へ訪れたのは、関東でも雪が降るのではないかと危惧されていた1月である。
羽田から石垣まで3時間半のフライトだった。
普段飛行機に乗って仕事をしていても、やはりお客さんとして乗るとワクワクしてしまう。
席は窓側が好きだし翼に掛からない席だと尚嬉しい。
本当であれば右側座席だとこの日なら富士山が見れたのだが、残念ながら埋まっていた。
羽田の05滑走路(C滑走路と言われる海に迫り出した滑走路)から離陸し、青空と東京湾を眺めながら意気揚々と出発した。
私の冬休みは始まったばかりだ。
小さくなるスカイツリーを遠くに眺めながら、これから始まる旅に興奮を隠せなかった。
ドリンクサービスが始まるのを待てず、セブンイレブンで買った塩むすびを頬張る。
普段なら機内でおむすびを頬張るなんて出来ないので、独特な背徳感に浸りながら景色を楽しんだ。
雲の上に出て水平飛行になるとドリンクサービスが始まった。
CAさんは優しい笑顔を振り撒きつつ、既に手の掛かる旅客達にイラついている様子だった。
たまにはお金を払って自分の携わる仕事を客観的に観るのは良い機会だと思う。
自分が働く時には言い方や表情に気を付けようと感じた。
忙しそうなCAさんからジュースを貰い映画を観ながら過ごしたら、あっと言う間に「南(ぱい)ぬ島石垣空港」に着陸した。
集合時間に指定された待ち合わせ場所に向かうと、「とことん八重山〜温故知新からSDGsを学ぶ〜」と書いてある大きな帯状の用紙を掲げた30代前半の添乗員さんが一人で立っていた。
自分がツアー客の一員となって団体に加わる事にまだ違和感を感じていた。
添乗員さんはボブヘアで焼けた肌がヘルシーな印象の方だった。
まだ誰もいない様で話し掛けるのに一瞬躊躇したが、彼女と目が合い恐る恐る歩み寄った。
「こんにちは…大豆(私の名字)です。」
「大豆さん!お待ちしてました!添乗員のMです。宜しくお願いします!」
「はい、宜しくお願いします。」
「お問い合わせのメール、ありがとうございました。お友達、大丈夫でしたか?」
「はい、都合付かなくなっちゃったんですけど私一人で参加させて頂きます。」
「はい、楽しみましょう。」
私の名前を聞くなりメールの話をしてくれ、把握してくれた事が嬉しかった。
Mさんは笑うと目が細くなる、線の細い華奢な女性だった。
女性の添乗員さんで何となくほっとした。
その後続々と参加者が集合した。
ご年配のご夫婦が三組、女性同士が三組、一人参加の私を含め13名のツアーだった。
30名位の団体をイメージしていたが、思ったよりも小規模なツアーで安心した。
Mさんは他の参加者の人たちとも挨拶の際に一言添えており、何だか素敵な人だなと感じた。
大型バスに移動すると車内には桐谷健太の「海の声」が流れていて、沖縄に来たなと改めて思った。
添乗員さんに加えてバスガイドさんもおり、ツアー感が更に増した。
気の向くままに旅をして来た私にとって、全てが新鮮だった。
バスはゆっくりと走行し始め、すぐに最初の目的地へ向かった。
車道の両側にはさとうきび畑が広がり、脳内では森山良子の「ざわわ」が流れていた。
民具づくり
最初の体験は民具づくりであり、空港から出発して10分程で目的地の小さな商店に到着した。
今でこそファミリーマートが石垣島にも出来たが、昔はそんなコンビニはなくこう言った売店が人々の生活を支えていた。
お米や野菜、カップ麺や砂糖、お酒やタバコが売っていた。
一角には地元の方が手作りした貝のアクセサリーやヘアゴムも販売されていたり、不要になった子供服を「ご自由にどうぞ」と無造作に置かれていたりした。
女性店主のTさんに挨拶をし、皆んなで「ガンシナー」と呼ばれる民具を作る。
昔は荷物の運搬の為に頭の上にガンシナーを乗せて運んだそう。
今はお盆の時にスイカなど丸い物を載せるのによく使われている。
言われてみれば見た事がある。
お店の外に広げられたブルーシートの上に靴を脱いで座り、他の参加者達はわいわいと連れと話しながら作成する。
最初は「私が作れるの?」と疑心暗鬼になっていたが、Tさんが講師となり順調にガンシナー作りは進んだ。
無駄話をせず黙々と作っていた私がなぜか最後までガンシナー作りをしていた。
完成させた人達はTさんが作った笠や蓑を身に付けて記念撮影をしていた。
私は「寂しくないですよ、全然」みたいな顔を繕って黙々と作りやっとの事で完成させた。
自宅で鍋敷きとして大切に使おうと思った。
その後、沖縄民謡とその歌碑を巡った。
「安里屋ユンタ」並びに「新安里屋ユンタ」という民謡があり、バスの中でどんな内容なのか実際にバスガイドさんが歌いながら説明してくれた。
私的解釈はこうだ。「安里屋ユンタ」は昔の役人さんが村の娘さんに恋してプロポーズをしたけれど振られてしまい、他の女性と結婚したけど娘さんが忘れられなくてネチネチとその思いを20番に渡る歌詞に綴ったそう。
後に宮良長包さんという方が、方言で内容が分かりにくい歌詞を現代版に変えて4番(後に5番)までの短い曲にアレンジしてレコード化したらしい。
現代で有名なのは「新安里屋ユンタ」なのだと言う。
私はあまり「安里屋ユンタ」を知らなかったが、皆んな「そうだったんだ〜」みたいな反応をしていた。
その後、川平湾にも少しだけ訪れた。
「ばしゆんた」という歌碑もついでに観光。
ゆんただらけで頭が混乱したが、「東京音頭」の音頭的なものだと言われて納得した。
川平湾は観光客も多く、バスガイドさんが解説しているのを便乗して聞いている人がいて面白かった。
その後20分ほど自由時間があったので、川平湾の展望台から景色を眺めた後に砂浜を歩いてみた。
その後トイレに寄ろうとすると、参加者の一人の方がトイレを探していた。
「あちらのお化粧室が綺麗ですよ。」
と声を掛けると、そこから会話が広がった。
神戸からご夫婦でいらしているとのこと。
私はこの方を、「神戸さん」と名付けた。
神戸の奥様は旦那さんが旅好きで、いつもこう言ったツアーを探して来ては誘われるらしい。
奥様はまだお仕事をされているので、お休みを取るのが大変だとぼやいていたが、なんだかんだで嬉しそうに旦那様の話をする人だった。
「声を掛けてくれてありがとう。」
と神戸さんは私に告げ、旦那様の元へ戻った。
集合時間までまだ時間があったので、お土産屋さんをぐるりと見回した。
Tシャツコーナーには、オリオンビールやブルーシールアイスのTシャツが売っていた。
オリオンビールを飲みまくると言うのが私の旅の目的の一つである事を思い出し、オリオンビールのTシャツを買う事にした。
MサイズにするかLサイズにするか悩み、鏡の前でフィッティングしていると「こいつこんなん買うのか?」みたいな顔で修学旅行生にチラ見された。
ビーチサンシャインホテル
LサイズのオリオンビールTシャツを購入し、涼しい顔をしてバスに戻った。
暫くして全員が揃い、ホテルへと移動した。
一日目のホテルは「石垣島ビーチサンシャインホテル」という所で、周りにはコンビニや飲食店はないらしい。
添乗員さんの計らいで、チェックイン前に繁華街に寄って貰えた。
そこで各々必要なものを購入しホテルへと向かった。
私はオリオンビール6缶セットと、プレミアムオリオンなる新作のビールをこっそり買った。
晩酌の準備は万端である。
石垣島ビーチサンシャインホテルは想像以上のホテルだった。
本館はかなり古いが、私達の宿泊する新館は全室オーシャンビューの素敵な部屋だった。
ここでのんびりしたい所ではあったが、晩酌のお供に夕飯を買いに行かなければならない。
繁華街では何も買わなかったのには訳があり、事前に気になるお店があったのでそこに行こうと決めていた。
ハワイのフードコートをイメージした様な施設。
ホテルから歩いて7分程の距離なので、ガーリックシュリンプをテイクアウトすると決めていた。
サンセットまで30分を切ったので足早にホテルへ向かう。
ガーリックシュリンプの良い香りがぷんぷんと漂っており、早く部屋で食べたくて仕方なかった。
部屋に戻ると丁度太陽が沈む所だった。
ビーチサンシャインホテルと言う名前だけあって、ビーチがサンでシャインされている。
事前情報で調べていた雰囲気よりも何倍も良くて癒されるひと時だった。
川平湾で購入したオリオンビールTシャツに着替え、オリオンプレミアムビールをぷしゅりと開け、暫くサンセットをベランダで眺めながら一日を振り返る。
すでに来て良かったと思えている。
残りの5日間が楽しみで仕方がない。
ガーリックシュリンプはかなり大ぶりな海老が8尾も入っている。
部屋中がガーリック臭で満たされ、私の口臭大丈夫か?と不安になるレベルではあったが、ひと口食べるなりその不安はどうでも良くなった。
海老はぷりぷりで、ひと口では食べ切れない位大きい。
オリオンプレミアムがみるみるとなくなり、オリオンビールは2本目に突入した。
調子に乗って「おじい自慢のオリオンビール」を掛けながら結局3本飲んだ。
星空観測ツアー
オリオンビールを飲みながら歌ってる場合ではなく、20時から最後のイベントがあるのを忘れてはいけない。
ホテルのルーフトップにて星空観測ツアーがあるのだ。
夜は冷え込むので、パーカーにダウンとマフラーをして屋上に集合した。
そこにはベンチタイプのベッドが人数分並べられ、寝そべって星が観測出来る様になっていた。
空を見上げると、既に頭上にオリオン座がはっきりと見えていた。
北の空には北極星、北斗七星とカシオペア座が見えた。
オリオン座のベテルギウスと、おおいぬ座のシリウスと、こいぬ座のプロキオンを結ぶと冬の大三角になる。
観測ツアーの方がレーザーポインタを使いながら丁寧に説明をしてくれる。
ベテルギウスは少しだけ他の恒星よりも赤っぽく、近々爆発して消滅するのではないかと言われているそうだ。
ベテルギウスは642.5光年だから、今見ている光は何百年も前のものなの?と考えると不思議な気持ちになる。
生きているうちにベテルギウスの爆発を見てみたいな、なんて考える。
昔の人の記述によると、恒星が爆発すると月の様にぼんやり明るくなるらしい。
きっと綺麗なんだろうなと想像していたら眠たくなって来た。
観測ツアーの方が続いて三線を弾き始めてくれた。
ビギンの「島んちゅぬ宝」のイントロだけで既に癒される。
沖縄の星にまつわる民謡を解説しながら…
この辺りから記憶が飛び飛びだ。
4時起きに加えてオリオンビールを3本飲んだ上に三線と星空、寝ない訳がない。
最後の10分程度は気絶した状態で解説を聞き、三線演奏が終わった途端に目が覚めた。
危うく寒空の下で凍死する所だった。
他のツアー参加者の中にも意識が飛んだ人はいると思う。
その後はすっかり冷え切った身体を大浴場の温泉で温めて、また露天風呂で星を眺めながら過ごした。
優里の「ベテルギウス」が頭から離れなかった。
部屋に戻り4本目のオリオンビールを飲みながら寝る支度をした。
一日目にしてなんて充実感なんだろう。
ふかふかのベッドに沈みながら心地良い眠りについた。