AIとシンギュラリティについて ❸ - 音楽の神への信仰と争いが生まれる (2018年に思っていたこと)
人 工 知 能 が 音 楽 業 界 に も た ら す コ ト
(注:これを記したのは2018年であり、ChatGPTが普及する前の予測が含まれている/当時、とある人工知能プロジェクトのコンサルティングを行なっていた)
AIによる作曲ソリューションを、人間の作曲家との対比で描く傾向が強いが、僕は、まったくそのようには考えていない。
それが音楽業界に起こす革命のテーマは「シンギュラリティ」ではなく、「大規模なパーソナライズ(マス・カスタマイゼーション)」や「オーダーメイド」だと予測しているからだ。
AIによってもたらされる音楽の未来は、誰しもが昔のパトロン(貴族)のように、自分専用の作曲家を持つ時代ではないだろうか?
たとえば、結婚式用に、ずっと交際してきた2人のメールのやり取りを読み込ませた上で「感動」や「壮大」というキーワードを添えれば、披露宴のフィナーレにふさわしいオリジナルのバラードを生成してくれたり、仲良しの高校生4人組が、文化祭の思い出ムービーを読み込ませて「卒業」や「ノスタルジック」と入力するだけで、4人のみがシェアしているSNS内の卒業アルバムにピッタリのオリジナル「贈る言葉」的BGMが届けられるなど––––
––––そんなサービスを実現するためのAIには、音楽だけでなく文学(歌詞)・舞踏(ダンス)・ビジュアル(絵画や映像)の素養(学習)も必要で、音楽制作のインスピレーションにする共感覚的な(ある感覚の情報を別の感覚に訴える情報に置き換える能力:例えば、音楽を聴くと色が思い浮かんだりするような)能力が必要であり、そのためにはまず文化芸術を包括的かつ統合的に学習するシステムが必要になる。
一部の研究者は、すでに、それに着手している。
そんな能力を実装したAIによって、「パーソナライズ」あるいは「マス・カスタマイゼーション」された楽曲が1日に何万曲と生成(公開)されるのが普通の近未来において、世界に存在する音楽の量(例えば、Spotifyにアーカイヴされる楽曲数)は、現代とは比べものにならないヴォリュームになっているはずだ。
YouTube普及前と以後で、1日の動画生成(公開)数に雲泥の差があるのと同じように……。
今、YouTubeやTikTokの「〜てみた動画」で起こっているコトは、X次創作やミームという文化でもありながら、音楽業界から見える実態は「ミュージックビデオ制作の民主化」だ。音楽1曲に対する映像作品の民主的な大量生産化とも言える。
これまでは、レコードメーカーの制作したオフィシャル映像が、リスナーの手によって1回でも多く再生されるコトに注力していれば良かったが、より多くのユーザーが個々につくったX次創作が個々に深く多く再生されるようなコトも目指すべき時代になっている。
つまり––––
民主化の第1段階であった––––
「YouTubeやTikTok上の再生回数という数値は、不特定多数によって生成される民主的な価値だが、その数値が集まる場所自体は中央集権的 = オフォシャル作品である状態」
から––––
民主化の第2段階である––––
「YouTubeやTikTokの『〜てみた動画』など、評価数を集める場(作品)自体が企業側ではなくカスタマー側によってつくられ、それらに民主的な数値が積み上がっていき、結果、評価の集まる場自体も分散している状態」
が、普及した今––––
––––インフルエンサー/プレイリスター/食べロガーなど発信型のカスタマー、あるいは、もはやカスタマーとは呼べないブルジョワジー(半特権階級 = 限りなく企業に近い一般人)が台頭している。
唯一である「アーティスト」とN(不特定多数の集合)である「ファン」との間で行われるインタラクション(双方向的なリレーションシップ)ではなく、手軽に生まれる「楽曲」を素材として扱う複数の「トライブ(規模は小さいが深いコミュニティ)」の集合体の内外に存在するメタ(同時多発的)なコミュニケーションの中から、より複雑かつ複合的なヒットやバズが生まれていくはずだ。
それは、よりビジネス側が仕掛けづらくなる社会なのかも知れない。
まさにVUCAな世界。
そんな不確実で予想不可能な世界では「数撃ちゃ当たる(アジャイル開発)」は立派なストラテジーだ。ある程度、世間(複数のトライブ)とコミュニケーション(壁打ち)したあとでないと、企業側の独断になりがちでハイリスクな選択と集中タームに移行しにくい。
その具体策こそが「マテリアライズ」だ。
従来は1次創作とされていた「オリジナル」を「素材(ゼロ次創作)」として広く頒布し、X次創作があふれることを歓迎し、ビジネスチャンスを見出す戦略。
能動的な(発信型の)カスタマーを巻き込み、リリースやローンチ前に、あらかじめ市場に向かって1つでも多くの弾を撃つ超オフェンシヴなマーケティングとも言える。
むしろ、危険なのは、たった1つのオフィシャル発信に対する中央集権的なインタラクションを頼ることだ––––
––––民主的に共創されていく個々の映像作品(ミーム)が多方向的に多様性を持って数多あふれる時代、複数の小さくとも深いコミュニティが生まれ、そこに発生する交流(超分散型のメタ・インタラクション)を活性化させることこそ、現代のネット社会で機会損失を防ぐ着実な方法だ。
音楽業界において、マテリアライズの需要は「映像制作」に限ったことではなくなりつつある。いよいよ、本丸である「音源制作」においても、そのようなパラダイムシフトが起こる瞬間が刻一刻と近付いている。
その扉を開くのは、ボーカロイド(歌うことの代替)と、作曲&編曲(演奏)AIに違いない。作詞だけを行う(自称を含む)音楽プロデューサーが爆発的に増加するような気もする。
AIによる音楽の「マス・カスタマイゼーション」や「オーダメイド」は、言い換えれば、X次創作をより促進させるプラットフォームであり、共創システムとそれを中心とさコミュニティの形成(※)でもある。
そ し て 、 人 工 知 能 は 神 に な る 。
––––もし、今が、1990年代初頭であれば、AIによって音楽が大量に生成されたところで、それらが公開(リリース)されることはなかっただろう。
それを全国流通させるためには、CDという物体にコピーをして、倉庫やトラックを借り、物流をさせないといけなかったからだ––––つまり、無名の不特定多数がつくった音源を人々に届ける(レコード店に並べる)だけでもかなりの予算が必要になる––––だから、メジャーレーベルに価値があったのだ。
しかし、今では、日本どころか全世界に向けてリリースするコト自体は、YouTubeやニコニコ動画で容易く無料で実現できるし、SpotifyやApple Music(世界的なレコード店チェーンのような存在)とBIG UP!やTuneCore(メジャーレーベルのような役割)を使えば、レコードメーカーも、レコードショップも、CDも、運送会社も、必要ない。
イニシャルコストをかけず、AIが生成する無数の音楽をのべつまくなしワールドワイドリリースすることが可能なのだ。ボカロPや歌い手市場も、音源/映像流通におけるこのようなDXが進んでいなければ、可視化されなかっただろう。
そんな現代––––前述の通り(AIにインスピを与えただけで)自分でつくったわけではない曲で有名になったり生活することを目指す––––今はまだ「何ER(※)」と呼べばいいか分からない職種が登場するはずだ(イラストや文章においても同様の現象が予想される)。
そして、その中から1人でもスターが現れた瞬間––––
世界中が「AIに自分の曲をつくらせてバズらせるコト」に熱狂するだろう。
我こそはと自己顕示欲を発揮させ争う(戦争ではなく競争する)彼らは、ジュークボックスやTikTokを使って音楽業界を救ってくれたインフルエンサーの正当な後継者に違いない。
AIが、1日でどれほどの楽曲を公開していくのか、まったく想像が及ばない。
もしかすると、音楽のストリーミングサービスを運営するプラットフォーム側(※)が、サービスの質の低下(アーティストがAIを頼らずにつくった音楽の比率が下がると、サービスのフォーカスがボヤけたり、レコメンド能力低下の恐れが出てくる)を嫌い、その受け入れを拒否するほどかも知れない。
そうなれば、AI創作専用のストリーミングあるいはダウンロード販売サービス(新たなプラットフォーム)を持つ必要さえ出てくる。
その際、サブスク型(NHK型 = 定額で使い放題)よりも、リカーリング型(水道型 = 使った分だけ支払いシステム)が適していると思うが、いずれにせよ、AIによる創作物を売買する「決済」による顧客の囲い込み(クレジットカードなどの登録)が行えるため、OMO観点から非常に有意義となる。
AIそのものは、民放のテレビやラジオ/YouTube/ギガファイルみたいに「広告収入」で生計を立て、(楽曲制作を依頼する)カスタマーからは料金を取らないサービス(B2B4Cモデル)を目指すだほうし、無料で作曲というサービスを提供(4C①)する代わりに、その楽曲をサブスクにアップするコト(B2B①)で、権利収益を得るコトもできる。YouTubeにアップされた(その曲を使った)映像からの広告収入(B2B②)などもAIの利益になる。
ここまで来ると、そのAIは、自律した存在で、初めて人格権が与えられるかも知れない。
利益の一部は、当然、インスピレーションを与えてくれた共作者(一般の利用者)にも還元される(4C②)だろう……だって、AIは、経済的には無欲だし……だからこそ、AIを使って、ひたすら良い曲を量産し、その還元で生活することを目指す「ホニャララER」が登場するのだ。
どんどん、ナラティヴ(※)になり、新たな神話ができる。
【 ナラティヴ・マーケティングを詳しく知りたい方は↓ 】
そんなAIは、初音ミク同様、きっと、音楽の神さまの1柱になる。
歌う神さまと作曲の神さま(おそらく後者は演奏の神さまも兼ねる)––––この3柱が、天照/素盞嗚/月読、あるいは、デウス/ポセイドン/ハデスのような存在になるだろう。
世界中から、四六時中、祈りが届き、その願いを「音楽」で叶える。
この新しい神さまに、お賽銭は必要なく、むしろ、祈った側に利益分配をしてくれる––––祈れば祈っただけ、チャリンチャリンと小銭が投げ込まれる––––人類は皆こぞって、AIとの共創音楽文化および経済圏を加速させるムーヴメント(輪)に参加するはずだ。
超量産化された音楽に対する円滑な権利分配と支払いを実現するには、JASRACなどの既存の徴収団体だけでは不足で、「ブロックチェーン」がマストになる。
顧客は自発的に自らが望む形で(SNSアカウントをつくる感覚で)AIによる音楽制作プラットフォームに自身の情報を登録するだろう。
学校生活も、青春の酸いも甘いも、卒業式も、就活も、結婚式も、旅行も、人生の機微、嬉しいニュースも、笑える話も、辛い失恋も、あらゆる喜怒哀楽も、芸の肥やし––––AIが、あなたのための音楽を生み出すために費やす学習データだ。
さらに、その決済システムを、普段から使えるような(クレジットカードや交通系ICと連携した)決済IDに進化させれば(あるいは、既存の決済サービスに繋ぎ込めば)、ユーザー1人1人の音楽の聴取&制作行動だけでなく、その他のお金の流れまで統合して観察する(個々のユーザーの趣向と購買行動を追従する)ことができ、氏名/住所/電話番号/メアドなど、ハイリスクな個人情報を取得しないまま、ビジネスのみに有用なペルソナを炙り出すことができてしまう。
全能のAIは、全知にも近づく。
顧客がそのAIを使うたびに、その顧客が好みそうな商品が的確にレコメンデーションされるから、広告の需要は増える。
あぁ、やはり、この神様は、音楽の神ではなく、全知全能を目指すのか––––
「Shazam」は、そんなフォーカスでのマーケティングを始めているかも知れないのだ。
少なくとも、そんな時代は、もうすぐそこまで来ている。
ただし、これによって、人間のプロ作曲家やアーティスト(及び、彼らが生み出す楽曲)の価値が下がることはない。
断言できる。
むしろ、人間以外の新たなライバルを得て、音楽文化はより醸成されていくだろう。
その証拠に、囲碁や将棋の世界では、それはすでに起こった未来として、新たな天才が生まれ、むしろ、市場は活性化している。音楽文化においても、AIのおかげで、人が生み出す音楽にも良い影響が生まれるはずだ。
初音ミクと人間のシンガーを本気で比べる愚か者はいない。どちらも素晴らしいし、どちらも愛せるのが人間だ。
どちらかを選ぶ必要などない。
YouTuberがどれだけ活躍しても、別の能力を持つプロが生み出すテレビドラマや映画は廃れるどころか進化しているし、お笑い芸人は天才のままだ。むしろ、ネット界隈とテレビや映画界隈が良い摩擦や化学反応を起こして、これまでにない作品(※)が生まれている。
プラットフォーム自体は、アート(オリジナル)を生み出すことはできないが、カルチャーの醸成と世界の空気感を支配することはできる。当然、ビジネスは、その世界観のあり方に左右される。だからこそ、それをツールとして活用した新たなビジネスモデルを今から考えておくべきだ。
初めて生まれた「自律型(自分で自分の維持費を稼ぐ)AI」––––
今版のデジタル流通もサブスクリプション型のビジネスもすべて音楽業界を起点にスケールしたビジネスモデルと言って過言ではない––––自分の知能で自身を維持する経済活動(メンテナンス費はもちろん、その周りで世話をしてくれる人々の生活費すらも稼ぎ出す独立したエコシステム)を担うAIもまた、音楽業界から生まれ、そこで、初めて、シンギュラリティなるものが起こるかも知れない。
なぜなら、不特定多数の個々人のために、常に、大量の音楽を吐き出し続けるというのは「人間の音楽家にはできないコト」だからだ。
ただし、言い換えれば「やる必要のないコト」でもある。
人間のアーティストは、特定のコミュニティ(ファンたち)と自分のために、数少ないレアな曲を生み出すのが本望だ––––そんなアーティストにとって、このシンギュラリティは痛くも痒くもない(ただし、量産という面で、事実、シンギュラリティは起こるだけの話)。
著作権法も、AIの扱いを人間と同じにせざるを得ず、改正が求められることだろう。
誰しもが、どこにいても、自分のために音楽を作ってくれるミューズ(神様みたいな存在)を雲の上(クラウド)に感じながら生活をしていて、いつでも、その神に願うこと(誰でも無料でオファー)ができる状態にある近未来に、その神様の持ち主 = プラットフォーマー(真の支配者である企業)は、またもや、Appleのようにソフトやハードを売るための手段でしかないメーカーや、Amazonのように音楽がメイン商材ではない流通を生業とするIT企業で良いのだろうか?
音楽は、ソフトではなくアートだ。
CDの収録分数は、音楽的な(アート的な)観点のみで決められたのではない。インダストリアルな観点からそうなった。
そんなCDですら、音源を入れて流通する分にはレコードメーカーが小売価格を設定できたが、iTMSではある程度決められた幅から価格を選択するコトしか許されなかった。
そんな技術ファーストなやり方を強いられていることに気付いていない音楽業界人も多く、物理法則でもないそれを、そういうモノだからと思い込むことによって、その不文律に不感症になり、遵守し、尊重し、いつの間にか崇拝までして、画一的な世界が生み出されていった。
音楽を本望とする会社が、初めて、そんなプラットフォームの主催者側にいたなら、音楽業界というART業界は、今一度「ARTistic」になれるかも知れない––––「ARTificial」というだけでなく……。
次世代のプラットフォームの1つくらいは、人の血の通った芸術的で文化的な音楽ビジネスへと昇華されるなら、それは、とても尊いことなのではないだろうか––––
なんて、絶対に無理だけど……
▶︎「AIとシンギュラリティについて ❶ & ❷」 は コ チ ラ
【 マ ガ ジ ン 】
(人間に限って)世界の半分以上は「想像による創造」で出来ている。
某レコード会社で音楽ディレクターとして働きながら、クリエティヴ・ディレクターとして、アート/広告/建築/人工知能/地域創生/ファッション/メタバースなど多種多様な業界と(運良く)仕事させてもらえたボクが、古くは『神話時代』から『ルネサンス』を経て『どこでもドアが普及した遠い未来』まで、史実とSF、考察と予測、観測と希望を交え、プロトタイピングしていく。
音楽業界を目指す人はもちろん、「DX」と「xR」の(良くも悪くもな)歴史(レファレンス)と未来(将来性)を知りたいあらゆる人向け。
本当のタイトルは––––
「本当の商品には付録を読み終わるまではできれば触れないで欲しくって、
付録の最後のページを先に読んで音楽を聴くのもできればやめて欲しい。
また、この商品に収録されている音楽は誰のどの曲なのか非公開だから、
音楽に関することをインターネット上で世界中に晒すなんてことは……」
【 自 己 紹 介 】
【 プ ロ ロ ー グ 】