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『人に恵まれた人生』 シリーズvol.1「ごぼうのシンデレラフィットの彼女」
大学を卒業する時に、一度自分の人生を振り返りました。これまでの人生を一言でまとめようと思ったとき、一番に思い浮かんだのは「人に恵まれた人生すぎる!!」という想いでした。
来年度から環境を変えるという点で、リスタートをします。これまでも含め、現在のことを考える中で、もう一度人生を振り返ったとき、やはり一番に思い浮かぶのは「人に恵まれた人生すぎる!!」という想いです。
ということで、この「人に恵まれた」という曖昧な表現を言語化したいと、ふと思い立ちました。
vol.1「ごぼうのシンデレラフィット」
出会いは、大学生の頃です。子どもと遊ぶためにレクリエーション等を企画する部活動で出会いました。最初の印象は正直覚えていませんが、おそらくキャンプ企画の頃に意気投合したのだと思います。意気投合というか、「無駄が多くね?これ合理的じゃないよね?」という、まあ愚痴で意見が一致しました。
なんやかんやありまして、破天荒にその部活から去っていった私たちでしたが、それ以降は講義でほとんど同じになることはないため、たまに大学で見かける程度になりました。確か、就職のための講義で席が近くなり、話をしていましたが、すぐに卒業です。最後の最後、式のときに会おうと話し、写真を撮りました。なんやかんやで盛り上がりまして、すぐに会おうという話になりました。
とってもユニークな人です。そのときに話したことで覚えているのは、『ごぼうがシンデレラフィットだ』という話です。今思い出しても意味が分かりません。とにかく腹を抱えて笑いました。
それからというもの就職してから毎日のように連絡をしました。上司がハリー・ポッターのマントみたいなコートを着ていたことは、もちろん一番に彼女に伝えました。
私は当時、何気ない会話をラインで続けることが苦手で、すぐに既読無視をしちゃうし、スタンプで終わらせようとするしで、なかなかな気難しい性格をしていたのですが、彼女とのラインは楽しくて楽しくて、ずっと続けていたいと思えるものでした。しょうもないことをラインでする日が来るだなんて、私は正直思ってもいませんでした。
就職してからの1年間は私にとっては地獄のような日々でした。人に相談することは恥だと思っていた私は、どんどん追い込まれていきました。もちろん他にも友人はいるのですが、その人たちの知る私は「どんなことがあってもポジティブな人」であり、職業も異なるため、そのときの私にとってはなかなか言い出しづらかったのです。
しかし、なんでも話ができたのが、このごぼうのシンデレラフィットの彼女です。時には共感も、時にはアドバイスもしてくれる彼女。話すことによって自分の感情にきづけるようにもなっていました。
あまりこの時のひどい自分を言語化したいとは思いませんが、簡単に言えば職場に行くまでに涙を流し、帰りながら涙を流す、そんな日々です。でもその異常さにも気づけない程になっていました。
しかし、ごぼうのシンデレラフィットの彼女は、一緒に言語化してくれて、寄り添ってくれました。自他ともに認めるプライドの塊女であった私が、弱音を吐けるようになったのは、明らかに彼女のおかげです。
もし出会えていなかったら、アラサーにもなって自分の感情に疎く、言語化もできないプライドの塊女が社会に浮遊していたかもしれません。(正直なところ、まだちょっとリハビリ中なところはあります。正直まだそうだと言われたらそうです。少しずつ成長していると信じたいです。)
ごぼうのシンデレラフィットの彼女。彼女が私にもたらしてくれるものは、たくさんの笑いと共感とアドバイス。あと、とんでもなくしょうもない話。
芯のある美しい彼女。ごぼうのシンデレラフィットの彼女。感謝しかありません。
そんな、とんでもなくしょうもない話をしてくれる、ごぼうのシンデレラフィットの彼女は、破天荒な少年のような彼と最近結婚しました。
私なんて、たった数年の付き合いなのに、10年以上共に過ごしてきたかのように感動しました。期間じゃないのだろうなと思います。
少し照れくさいからこそ言葉にすると、鮮やかでいいなあ。今日のお昼頃に文章にするからね、と伝えましたが、もう書いてしまいました。