人生初。室内楽オーケストラを観に行きました。<後編>
昨日伺った室内楽オーケストラ・コンサート。
<前編>にてご紹介した1~4曲目に続いて、後編です。
5曲目は、コラール147番「主よ、人の望みの喜びよ」です。
癒すよねえ〜…バッハ。
繰り返される主旋律を聞きながら、眠りの世界へ誘われそうに。
この曲は、バッハが38歳のとき、1723年7月2日の礼拝のために作られたものだそう。
1日の礼拝のための曲が、21世紀にもこうして響きわたっていること、音楽の永久性に感慨深くなりました。
労働の後に、夕焼けでも見ながら聞きたい。
続いては、緒方麗さんによる屋久島古謡「まつばんだ」です。
「まつばんだ」は、屋久島に伝わる民謡。
50年ものあいだ歌われる機会がなく、幻の民謡と呼ばれていたそう。
昭和49年に録音された100歳の老婆が歌うテープが発掘され、現代の島の人びとによって復活された。
*発掘されたテープ音源は、下記の動画で確認できる。
この度のコンサートで、私は初めて拝聴したが、
たいへん良かった!
(これしか言わなくて、申し訳ない)
歌い手の緒方麗さん、三味線奏者の方によって演奏されました。下の動画で歌っているのも、緒方さんです。
透明感と、芯のぶれなさ、豊かさを感じさせる、不思議な美しさのある歌声でした。
三味線と歌というシンプルな構成。
だからこそ、私は生で聴いて、ブルースやソウルをひしひしと感じとった。
歌から歌詞を把握するのがかなり難解だが、歌詞はこのようになっている。
屋久島には、「山岳信仰」が根付いており、屋久島の山々を何よりも大切に敬ってきた人々のおもいが、この歌には込められているよう。
50年もの間、なぜ途絶えていたのか、
そして、テープがどのように発掘され、また復活したのか。
このあたりに壮大なロマンを感じてしまう。
コンサートでは、お二人の凛とした佇まいと、静謐な中に響く流麗な歌声に、聴いている人々も興味深く聞き入っている様子だった。
鹿児島には、多くの離島がある。
それぞれの島に特有の文化が残されているはずで、そういうものに触れる機会が、非常に限られている。
鹿児島に住んでいる私ですらそうなのだ。
僭越ながら、この記事をきっかけに少しばかりでも、興味をお持ちくださる方がいたらと願う。
コンサートのラストは、映画「レ・ミゼラブル」。
恥ずかしながら、「レ・ミゼラブル」については、あらすじを少し承知している程度…。
さすがに、楽曲については有名すぎて知っているけれど、今回しっかりと聴いてみて実感したのが、曲が本当に良い。良すぎるということ。楽器のみの演奏だったからこそ、純粋に「曲の良さ」というのが染み入ってくる。
最後に演奏された「民衆の歌」が、これまた圧巻だった。
当然、今回は「歌」がないわけだが、そこには、物足りなさよりもむしろ、メロディの美しさが際立って存在した。「言葉」がないからこそ、訴えかけるものがあったし、胸に迫るものがあり圧倒された。
最終的に、やったるぜーーーー!みたいな気分に、私は勝手になった。
演奏後は、みんな少なからず勇気づけられたはずで、万雷の拍手。
私は後ろの席にいて、年配の人々が、一心不乱に手を打っているのがよくよく見えた。
ああ、老いも若きも、音楽の前では、
素直な思いをどうしても表さざるを得ないのだ。
良かった・・・。
みんな、すてきな音楽聴けて、しあわせだったよね・・・。
そんな気持ちで胸いっぱいに。
心がすっかり洗われて、ずいぶん良い心持ちで会場を出たら、濃紺の中折れ帽をかぶったおじいさんが、「民衆の歌」を口ずさみながら歩いていた。
「わかるー。そうなるよね!」と心の中で激しく同意。
私もマスクの下でふんふん歌いながら、会場をあとにしたのだった。
人生初の室内楽で感じたこと。
私は、ロックとかそういう現代の音楽のライブやコンサートにしか行ったことがなかった。
クラシックのコンサートでは、演者と観客との間に生まれるやり取りは、主に「拍手」になるわけだけど、歓声や、目立った声掛けがなくても、双方向のやり取りが確かに存在する。
言葉を介さない、あたたかな温もりのあるやり取り。
拍手に包まれた空間に、お互いの、音楽に対する愛情が満ち満ちて、広がっていく。そのさまは、とても美しい光景だった。
折に触れて、クラシックのコンサートにも訪ねてみたいと感じた、とても良い機会だった。
本当に、素晴らしい音楽を聴かせていただきました。
演奏してくださった皆さん、ありがとうございました。