現役を続けられるように
40歳手前で子育て真っ最中なのですが、少しだけ将来のこと、具体的に自分が仕事が無くなった時のことを考えるようになりました。
年齢を重ねる事で、少しずつ能力に衰えを感じ、しかしながら、家族を養うことにリソースを長期的に費やすことになるのです。独りの時とは明らかに違う責任があるのです。
子育でと一言で言っても、軽く二十年を超えるスパンで人生を考えるようになります。子どもが成人になった頃には、間もなく60歳。とてもじゃないけど、今の平均年齢を考えると、その先も長いのです。
今は会社で収入を得て生活を支えていますが、その先はその雇用がいつまで続くのかに左右されるのです。
このシステム化された生活から抜け出したいのですがそれは幻想です。ただ何もせずに手をこまねくよりも、そこと向き合うために今出来ることを探して、動いていたい。
定期的に新しい情報に触れるようにしています。同じ環境で同じスタイルの生活をしながらでも、物を読んで、頭を活性化させるのです。
特に僕は経済的な情報に触れるようにしています。多額ではありませんが、少々のコストを払って、勉強を続けているのです。
よく聞く話ですが、コストを先に支払うことで、自然と元を取りたいという気持ちが強くなります。この気持ちを活用し、知識を増やすのです。
マクロ経済を学ぶことなんてかつての僕の人生で必要はなかった。ですが、今ではこれほど大切なことは無いと思えるのです。
会社勤めの方だと、ほとんどの収入が給与に依存します。パフォーマンスによって多少の金額の変化はあっても、大まかに言えば、収入は安定しています。
これはこれで、素晴らしいことなのですが、サラリーマン生活の中で、ふと疑問に思う事がありました。
株式会社だと、当たり前のように言われる「株主に報いる」
この「株主」という言葉に引っ掛かりを覚えました。
お客様ならまだ直接話することもあるし、お金を頂くのでそれに報いるようにするのも、当たり前に感じます。
「株主」って誰なん?
こんな子供っぽい問から、経済を学ぶことをスタートさせたのです。
これを逆に考えれば、「もし株主になれば、会ったこともない人から報いてもらえる。」
こう考えるようになったのです。
続く。