
記録を出したいなら、今の僕は記録に拘るしかない
40を超えて始めたランニングの習慣。これから感じた事達をありのままお伝えしています。
走ることは、普段の生活から一時的に脱却を図ることで、心身がリフレッシュされます。ですのでランニングを始めた頃は、(今でもそうですが)ただただ走ることが楽しいのです。
その中で正しいフォームで走る事の経験を積むと自然とスピードが身についていきます。
すると、当初それほど関心がなかったタイムへの執着が出ることがあります。この執着との向き合い方が面白いのです。
本来の目的は正しいことを積み重ねる事ですので、より「早く走りたい」は、あくまで結果として表れるものです。また、どのくらいのスピードで走れるかは、実際に走り出さないと見えてこないことが多いのです。
従って記録への意識は条件よくスタートを切れた時に、徐々にイメージとして大きくなるものです。
何度も言いますが、淡々と走る事が好きです。タイムは二の次です。
その上で自分の限界の記録を破れるかもしれない状況になった時、その時の「自分の欲」をどうコントロールするかが大事に思います。
自分が作った記録は、過去の自分が精一杯頑張って作ったものですので、それを塗り替えるには、その時以上のパフォーマンスが求められます。
そんな時、言葉は汚くなりますが「なにくそ」の気持ちが大いに役に立ちます。「楽しい」という感情だけでは、過去の自分を超えられるものでは無いのです。
ここに関しては、走る事の目的が本来のものから少し変わって、「普段のストレスを解消」よりも「自分の限界を超える」になります。
利点としては、他事で追い込まれた時、僕で言えば仕事よくある事ですが、あと一歩の頑張りが勝敗を分ける時があります。その時の我慢の耐性を養うという意味で、自分の記録に拘るのは良い経験になるかもしれません。
但し、スピードに酔ってフォームを崩すと怪我をします。ここでも自制してまた本来の目的である、正しい努力を重ねることを思いながらの、何くそランニングになります。
これが今の僕の答えです。
ここからは余談ですが、過去にTOEICの資格で950点を経験しました。
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