足るを知るということ
今回のよもよまTalkでは、那智勝浦大泰寺のの西山十海住職に「過食」をテーマにお話を伺ってきました。
皆さんは、ストレス発散の手段を食に求めてしまうことはありませんか?
そうでなくとも、ついつい食べ過ぎてしまうことに悩まれている方もいらっしゃるでしょう。
ありがたいことに、現代社会において食というものは常に人間の身近な場所にあるので、欲望の対象になりやすいのかもしれません。
こういった状況に、西山住職は、
人間は欲しいものをどんどんと手に入れていっても、決して満足することはない。
こうおっしゃいます。
欲しいものを得ていった先にに終わりはなく、失ってみて初めてそこにある幸せを認識することができる
というのです。
住職のこのような教えのルーツは、やはりご自身の修行中の食事体験にありました。
皆さんもイメージされたことがあるかもしれませんが、お坊さんが修行中に食べることが出来るのは野菜のみ。
そして野菜と言っても、自分達で選べるわけなどはなく、近くの農家さんからの頂きものです。
ある時期は冬瓜だけを毎日ひたすら食べ続けることもあり、修行中のお坊さん達は味付けにとても苦労をされるそうです。
食事の面だけ切り取ってみても、こんなにも過酷な中で、普段の営みのありがたみを感じるのが修行というもの。
まさに、
失ってみて初めてそこにある幸せを認識することができる
のです。
ここで住職から、三宝という言葉が飛び出しました。
三宝というのは、”仏” ”法” ”僧”の3つの要素から構成される言葉です。
それぞれ、”悟りを開いた人” ”仏の説いた教え” ”修行する出家者の集団”のことを指します。
これらは仏教を構成する最も基本的な要素です。
その中に、”修行する出家者の集団”というものが含まれていることからもわかるように、修行は1人でやるのではなく誰かと一緒にやることが必要なのです。
これは、修行という文脈の中だけでなく、
今回のテーマである過食に悩まれている方が、食事のありがたみを感じ、足るを知るために、あえて不自由な食生活を実践してみるといった場合にも当てはまります。
一緒に実践することができる仲間を見つける、そういった仲間がいる環境に身を置く、といったことがまず大事になってくるのです。
今はファスティング(断食)を集団で実践することができる宿なども出てきており、そういった環境に身を置くことも効果的です。
そして何より私たちお寺ステイも、書籍『お坊さんが教える おうち修行』を通じておうち修行のコミュニティを形成しています。
・過食に悩まれている方
・生活習慣を改善したい方
は是非、一緒に実践する仲間を探してみる、もし周りに仲間がいなければ、思い切って仲間のいる環境に飛び込んでみてください!
付き合う人や環境に変化を加えることで、おもわぬ方に人生が好転していくかもしれません。