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ただ「そうなんだね」と聞いてほしかった【みっちゃんの呟き011】

※お知らせ
熊野に住むかえでから、交換noteのお返事をもらいました。読んでいて、ほっこり嬉しい気持ちに。ありがとうね。よかったら覗いてみてくださいね。



こんにちは。
えんどうみきです。


本日もこのnoteを開いてくださり、
ありがとうございます。

■みっちゃんの呟き011

今日は、友人についての呟きです。

昨日のnoteで書いたようにこの1年弱、思うように動けなかったり、苦しい日々が続いたりしました。(参照:「わたしでいいんだ」と思うには時間が2年かかった【みっちゃんの呟き010】

それでもなぜか定期的に学生時代の友人や後輩から、何かしら連絡をもらうことがありました。相談があったり、想いが綴られた手紙が届いたり、「会いに行くね」と言って来てもらったり。

「なぜ???」と思いながらも、状態が状態だったので「ありがたいな」と思って、話を聞きながら、関わりながらコチラが元気(生気?)をもらっていました。

「全然自分から、いけてないのになぁ。なぜ?」

それぞれ理由・目的があったと思うんですが…。話す中で、関わる人に必ずと言っていいほど言われた言葉があります。それは「みっちゃんだったら、そのまま聞いてくれる気がした」という言葉。それを聞くたびに、そういうニーズがあるのかと腑に落ちました。

確かに学生の頃から、これだけは大事に人と関わっていたんですよね。「相手の話をそのまま聞く」ということ。相手がどんな恋愛をしていたとしても、自暴自棄になっていたとしても、試験や面接がうまくいってなかったとしても、いつも通り。何を聞いてもいつも通り。それが相手にとっては、「聞き手」として助かることがあったようです。

では、なぜ「そのまま聞く」を大事にしていたか。それは、言いにくいことほど、自分がそう「そうなんだね」と誰かに聞いてほしかったから。その上で、言葉がけをしてほしかったからです。相手の意見がほしいわけじゃない、ただ受け止めてほしいタイミングがあることを知っていたからです。

大人って、いろいろ自分で選択もできるから楽しい反面、大変だなと思います。利害関係が生まれていたり、楽しいことは一緒にできても苦しいところは見せにくい関係性もあったりして、気軽に「ただ聞いてもらう」がしにくいなと思います。

そういう時に、「ただそのまま聞いてもらえる存在」として、もう少し私がいれたらな、と書きながら思ったのでした。

最後に。付き合い悪くなっちゃった時期もあっても、根気よく連絡くれる友人に感謝、感謝です。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。その人をそのまま見れる人間でありたいなと思います。それではまた明日。よろしくお願いします。

シェア大歓迎です。

もし、私の考え方に共感してくれそうな
ご友人がいましたら
このnoteを紹介していただけると嬉しいです。



--------みっちゃんの今日の一言--------

フォームを作ったり、AI使って文章構成を考えたり…。
今できるところで最大限にエネルギー使っていこう。

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私も今までたくさんの人に聞いてもらい、支えてもらえました。次は私の番。いつでもお話を聞きますよ。お気軽にご連絡くださいね。


それでは、今日も良き1日をお過ごしください^^

最後まで読んでいただきありがとうございます。素直な想いを良ければ残していってくださいね。 サポートいただいたお金は、自分が応援したい人へのサポートに回します。 note内ですてきな循環を生めたらいいなとそんな願いを込めて...。