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パラオ-日本の占領下にあったパラオはなぜ親日なのか
日本を好きな国つまり親日国はたくさんいます。これには台湾、タイ、ポーランド、パラオ、インドネシア、フィンランド、ブラジルが該当します。しかし、この中の台湾、パラオ、インドネシアは過去(大日本帝国時代)統治を受けてきた経緯を持ちます。それなのに親日国、何故でしょうか。(当然反日の人も親日の人もいることは理解しています。全体的に見てという意味です。)
今回はその中のパラオの日本統治時代について解説します(内容で間違っている部分があったら修正しますので、教えてください。)
1.日本の統治以前のパラオ
パラオが歴史に初めて登場したのは16世紀以降です。
羅針盤などが改良され航海技術が発達してパラオがあるミクロネシア諸島にも
ヨーロッパ人が来れるようになりました。
そして、1885年スペインの植民地となりました。
天然痘の流行もあり、パラオの人口は90%減少しました。
これはアメリカ大陸の植民地でも見られます。
今まで天然痘がなかったところに天然痘が持ち込まれ、免疫のなく衛生環境も良くない原住民がかかり爆発的なパンデミックを引き起こすということです。
衛生環境が悪いのはスペイン人の原住民に対する搾取が原因でもあります。
しかしこの統治も長くなく、財政難に見舞われていたスペインは当時
ヴィルヘルム1世のもと、急速に勢いをつけていたドイツに売却します。
ドイツの時代になっても原住民は強制的に働かせられ、それで儲けた金をほぼドイツが独占するという形が続けられました。インフラ整備や教育もほとんど
行われませんでした。
1914年、第一次世界大戦が開戦。ドイツの敵国となっていた日本はドイツ領の植民地を攻撃。これを占領しました。
1919年、勝利した日本はパリ講和会議でパラオの委任統治が認められることになります。
2.日本統治時代
日本統治時代になるとパラオの状況は一変することになります。
ドイツの時代ほとんど行われなかったインフラ整備や教育が行われ
パラオは急速に発展しました。
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教えていた言語は日本語でしたが、ほとんどの人が読み書き出来ないパラオにとって、それは急速な発展に繋がりました。
1941年、大東亜戦争が開戦するとパラオは戦争遂行において重要地点となります。実際にパラオでも戦争が起こります(ペリリュー島の戦い)が、パラオ民間人の死者は出ませんでした。
1945年、日本が降伏。パラオはアメリカの信託統治下に置かれることになりました。
3.パラオは何故親日?
ここからはパラオの歴史を踏まえてパラオが親日国な理由を考えていこうと思います。
僕は大きく理由は2つではないかと考えています。
一つ目は日本の統治時代。日本の統治時代がパラオ全体の発展に結果的に繋がったことは事実です。そしてペリリュー島の戦いで民間人を巻き込まず、死者を出さなかったこと。
二つ目は日本が経済援助をしていることです。
パラオに最も経済援助をしている国は日本です。
この二つがパラオが親日国な理由に大きく関係しているのではないかと思います。