あの時嗚咽したのは哀しかったからじゃない。懐かしかったから。
こんばんは。
ばあちゃんの死などを機に、地元に戻ってきた奴です。
そのことについてはこちらのMagazineを。
日々、生きる活動
「生活」
をしていてふと気づきました。
ばあちゃんの死を受け入れられていることに。
死顔を拝めなかったことや、最後のありがとうを骸にさえ伝えられなかった無念は別の感情としてあるんですが...
毎日泣く、ということがなくなったんです。
僕の生活と、感情の移り変わりはこうです。
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ばあちゃんが死んだけど、葬式に出られないモヤモヤで純粋に悲しめない。
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純粋に悲しみが湧くようになる。
東京の一人暮らしに戻り、毎日泣いてしまう。
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仕事を辞め、石川に戻る。
毎日、炊き立てのご飯・水・花を供え、ろうそくと線香に火をつけ、経を唱える。
寝る時は仏間の隣の座敷に布団を敷き、ばあちゃんの遺影に見られながら眠る。
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こうした日々を過ごすうちに、僕はばあちゃんの死を受け入れられるようになったようです。
もう、哀しくないです。
寂しいけど。
最初に紹介した記事や、そこで微笑むばあちゃんを見ると涙が出てきました。
でも、この涙は哀しみの涙じゃないんです。
僕は、数年前の母方のじいちゃんの葬式で、初めて嗚咽混じりの大号泣を経験しました。
自分で制御のしようがない、"堰を切ったように"とは書いて字の如くで、こんなにも肩が、胸が上下し、呼吸がまともにできなくなり、鼻水と涙が溢れ、声が漏れてしまうものなのかと。
その経緯はいとこの一言から始まりました。
「じいちゃんにメッセージ書いて欲しいげんけど」
そう言われた僕は、火葬時にでも入れるんだろうとよくわからないまま、でも、じいちゃんに伝えるには自分の言葉、つまり、方言で書こうと思ったんです。
『じいちゃん...』からはじまり、お盆や祭り、正月に泊まりに行って、遊んだ情景を思い浮かべながら、子供みたいに甘える拙い方言でメッセージを書きました。
それがじいちゃんの前での本当の僕だったから。
そうしたら後ほどになって、葬儀場で読まれると聞かされ...
恥ずかしいからやめてほしいとちょっと思ってしまったのは秘密です(笑)
本当に方言丸出しで、子供みたいでしたから。
でも...
読まれた瞬間に、、、、、
読み手の方がまた美しい声だったんです。
『じいちゃん...』
と聞いた瞬間に大号泣です。
あの方のお仕事は本当に素晴らしいものだと思います。
感謝しています。
あの方が読んでくださって僕が聞く側に回ったことで、僕は改めて自分自身の感情に気づき、大好きだったと回顧できたんです。
そして、その感情は...
懐かしさでした。
僕は幼い頃の大好きな空間が、懐かしく懐かしくて、涙が止まらなくなったのでした。
そして僕は少し落ち着いたところで、一緒に住んでいた父方のばあちゃんに後ろから近づいて、肩に手を置き、泣きながら一言
『長生きしてな』
と伝えました。
そのばあちゃんの葬式に出られなかった分、この一言を伝えられたということが、僕の中ではとてもとても大きくなっています。
素直な気持ちを伝えられてよかったなと。
普段は伝えられないことを、一歩踏み出して、伝える。
とても大事なことだと思います。
本当に言ってよかった。実行してよかった。
これからも、後悔しないように生きたいと思います。
[ 今日のFoveon:SD1 Merrill + SIGMA APO 70-200mm F2.8 EX DG OS HSM ]
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