読書記録 #1 『日本が世界一「貧しい」国である件について』
「貧しい」とは?
突然ですが、皆さんは「貧しい」という言葉からどのようなことを連想しますか?
経済面で「貧しい」、技術面で「貧しい」、などさまざまな考え方があると思います。確かに、世界的にみて日本は、経済的にも技術的にも「豊かな」国だと言えるでしょう。しかし、1人ひとりを歓迎し認め合うという面ではどうでしょう?
私は、2019年の夏にインドネシアの小さな村でのホームステイ経験があります。インドネシアは途上国ということもあり、私のホームステイ先では、お湯が出ないため毎回凍えながら体を洗っていましたし、夜になると街灯がないため懐中電灯で照らしながら帰宅していました。インドネシアでの生活は明らかに日本よりも経済的・技術的に「貧しい」ものでしたが、私の心はいつも人々の心の距離の近さと自己肯定感で満ち溢れていました。
というのも、誰かとすれ違えば何かしら話しかけられますし、小さな村ということもあって、村の子ども達にはいつの間にか自分の名前を覚えられていました。ベンチに座っていたら、知らない人にいきなり話しかけられてツーショを撮られたこともあります笑。私は挨拶程度のインドネシア語しかわからないので、言語面で不便なことは多々あったものの、インドネシアの人々は私が理解するまでゆっくり話してくれたり、ジェスチャーを使ったりして「異なるもの」である私にさえも一生懸命向き合ってくれたため、初めて訪れた国であるにもかかわらず、否定的な感情は一切ありませんでした。(むしろ、日本よりも居心地が良かった)
このように、人と人の関わりや心の面では、途上国であるはずのインドネシアは「豊かな」国なのかもしれません。
「みんな」の意見は正しい?
しかし、日本では「異なるもの」への理解が全くと言っていいほどないと感じます。この本にもありましたが、日本社会では「みんなの意見は正しい」と押し付けられているような気がしてなりません。
例えば、あり得ないほどの残業をさせられても仕事を途中で辞めるのは世間的に良くないから辞めないという人は少なくないはず。でも、海外の人からしたら、そんな働き方をさせる企業でストライキが起こらないことのほうが不思議なのです。
また、私は以前、ある駅の駅員さんが海外の方の対応をしているのを見かけました。その駅員さんは日本語があまりわからない様子のお客さんに対して「だからこうだって言ってんの!わかんないの?」と怒り口調で「めんどくせえな早く行けよ」というオーラがひしひしと伝わってきました。そのお客さんはしょんぼりとした様子でその場を後にしたのですが、その後ろに並んでいた私の父(日本人)に対して同じ駅員さんは、まるで魂が入れ替わったかのように丁寧な対応をしてくるのです。(マジで腹が立ちました)
このように、日本では個々人の意見やみんなと違う人の存在は簡単に蔑ろにされてしまうと感じています。日本ではよく「空気を読め」と叱ってくる大人がいますが、空気を読むことで何の得があるのでしょうか?これからオリンピックを開催しようとしている国が世界からくる人々を理解しようともしないなんて、何が「お・も・て・な・し」なのでしょうか?
生きづらさ大国ニッポン
私は生まれてから21年間、ずっと日本で暮らしてきましたが、この国にいるとなんだか「生きづらい」ということに気がついてしまいました。
「海外に移住したい」と知人に話すと「え?じゃあ結婚するの?」となぜか国際結婚前提だし、満員電車で痴漢にあっても「なんで女性専用車両に乗らなかったの?」と咎められるし、何か異論を唱えると排除的な視線が送られてくるし……。挙げればキリがないのですが、日本は個々の主張への寛容さという面では限りなく「貧しい」国だと思うのです。
この本を読んで、私が感じていた日本社会に対する偉大なモヤモヤが少しは可視化されたかな、という気がします。