見出し画像

心の芯まで冷えたとき

自分自身を尊重すること、心掛けているつもりだけれど、どうしたって、蒼い海の底に沈んでしまうときってあるんだよなぁ。

震えてるのはきっと 寒さのせいだけじゃないな
どんな台詞もきっと 役に立たないな
"embrace"  BUMP OF CHICKEN

そんな時に浮かぶ曲。心が冷え切ってしまって 涙も出ない。いったい何が悲しいのかも分からない。どうなってほしいか、理想さえも、ここからかけ離れた星にあるようで 思い描くことすらできない。

腕の中へおいで 抱えた孤独の
その輪郭を 撫でてやるよ
明かりの無い部屋で 言葉もくたびれて
確かなものは 温もりだけ
"embrace" BUMP OF CHICKEN

このさき何度、この浮き沈みを繰り返すんだろう。でもその度に、優しさの温かさに気付けるのなら 蒼の海も わたしの大切な「ふるさと」になったって いい。

一歩も動けないときも 息苦しく感じるときも 温かい目で自分を見てあげることができたら-----

------そんな頃、あてもなく散歩して立ち止まったのが図書館の哲学の棚。無意識にフリードリヒ・ニーチェさんの本を手に取っていました。そういえば、彼との出会いは中学3年生、白取春彦さんの『超訳ニーチェの言葉』。
偶然にも、同じ白取さんの著書『生き方はニーチェに聴け!』(ディスカヴァー・トゥエンティワン出版)を開くと ニーチェさんが(白取さんが)とっても温かい眼差しを向けてくれていたことに気付きました。

22節「自分を世間の視線で見てはいけない」より、

虫が這っている姿を目にするだけで今ここを生きていくことの懸命さを感じるし、貴重さや命の神秘さすらも感じる。

その虫に対して死ねばいいのになどとは決して思わない。いとおしくさえ思うはずだ。

それと同じ視線で自分を見るのだ。
自分の発言、自分の行ない、自分の態度を。こうすれば、胃に残るような後悔も恥辱も生まれようがない。こうすれば、自分をいつまでも責め立てる気持ちになることもない。
p.108

雨降りの通勤路を歩く。「命」を意識して景色を見ることにした。
小麦色のネコジャラシ。街路樹の根元の盛り上がったレンガ。錆びれた薬局の看板。
ありんこさえ見つけられなかったけど、この街は「命」でつくられている。

すると急に「はかなさ」が押し寄せてくる。
あれ?わたしは 何に慣れきってしまったの?

「はかなさ」という言葉には寂しさがあるけど、「移ろいゆく」「縛り付けることのできない」「シルクの糸が未来へとのびているような」そんなふうに、その・この・命を捉えることもできて。
わたしは もっと 自由なんだって、初々しい気持ちが 湧き上がってくる。

腕の中へおいで 隠した痛みの その傷口に触れてみるよ
時間の無い部屋で 理由も忘れて 確かなものを 探しただけ 見つけただけ

腕の中へおいで 醜い本音を紡いだ場所に キスをするよ
命の無い世界で 僕と同じ様に 生きてるものを探しただけ
"embrace" BUMP OF CHICKEN

”時間”も”命”もないとしたら、そこにあるのは「存在」かしら。
輪郭のない ふわふわとした存在… あ、実家のワンコ。
両手で顔を撫でてやると とっても気持ち良さそうにするのは 自分の輪郭を感じられるから?
 ーただ、気持ちいいからだよ。

心が冷え切った時、こうして「あたたかさ」そのものをじっくりと感じたらいいよ。
どうやったって、あたたかいものに 辿り着けるから。

春の訪れも もうすぐ そこまで 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?