周りの目を気にしていい子を演じ続けていた私が本当の自分を取り戻すまで
コーチングを習い始めて1年、幾度となく吐いてきた問いだ。
この問いを口にするたびに、僕は息が詰まって胸が苦しくなる。
「コーチは問いと傾聴のプロフェッショナル」としばしば言われるが、自分が吐き出した問いはそのまま自分に返ってくるのだということに、しばらくたってから気づいた。
「5年で3社7職種」という経歴をもつ私のもとには、色々なキャリアの悩みを抱えた方がきてくれる。今の仕事が不満だ、新しい挑戦がしたい、もっと社会の役に立つ仕事がしたい、、、その度に私はこう問いかける。「本当のあなたはどうしたいですか」と。
その問いはクライアントを介してそのまま僕のもとに返ってきて、鼓膜を突き破り、側頭葉を抉り取ろうとする。
思えば、僕はずっとこの問いから逃げてきた。
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小さいときは周りの大人の目ばかり気にして、その場で求められる「いい子ちゃん」で在り続けてきた。勉強を頑張って、授業中は一番に手をあげて、リーダーに立候補して、誰にでも分け隔てなく接して。そんな私を慕ってくれる友達もたくさんいた。親や先生が期待する私でいるのは簡単だった。求められることを素直にやればいい。僕は気づいてなかった。それが自分をいかに傷つけていたのかということに。
私は勉強を頑張って、中学受験で全国トップ10の超進学校に入った。そこから歯車が少しずつ狂い始めた。
もちろんみんな勉強が出来た。テストも難しくなった。小学生のときは簡単に満点を取れていたのに、頑張ってもいい点を取れなくなった。
いろんな小学校からすごいやつが集まってたので、誰よりも早く手を挙げてもリーダーに選ばれなくなった。
思春期になって「いい子」の基準が変わった。先生が期待する「いい生徒」とみんなが期待する「いい友達」が全然違って戸惑った。私は人によって態度を変えるようになった。そしたらウザがられて、いじめられた。キャプテンなのに部活をサボって、ハブられてる者同士で肩を寄せ合って消しピンをしていた。10年たったけど今でも思い出すのはしんどい。
小学校6年生の担任に「もっと自分の好きなようにしていいんだよ」と言われたことがある。たしか卒業式の日だった。
今思い返すと、この問いを初めて私に投げかけてくれた大人だったかもしれない。でも当時の僕には届かなかった。
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大学生になって、ものすごく自由が増えた。勉強も、サークルも、友達も、恋愛も、全部自由。自分の好きなようにできる。
でも私は戸惑った。自分はどうしたいのか。そんなこと考えたことない。
高校の友達に言われるがまま同じテニサーに入って、でも遊び呆けるだけじゃ誰かに怒られる気がして、目についた真面目な学生団体にも入った。
半年だけテニサーで遊び呆けて、それだと周りに置いていかれる気がして、後半は学生団体を頑張った。
スタートが遅かったのでリーダーには選ばれなかったけど、頑張って頑張って、インドにも1人で行って営業しまくって、みんなに認められて3年生のときに幹部になった。
頑張って頑張って、寝る間も惜しんで頑張っていたら、体を壊して睡眠障害になった。
どうやら頑張る方向を間違えたようで、メンバーの信頼も失って、幹部を解任になった。彼女にも愛想をつかれて振られた。授業そっちのけで頑張っていたらいつのまにか留年しかけていた。家族そっちのけで頑張っていたらいつのまにか両親の仲が修復不能になっていて、父親が出て行った。
私はどこで間違えたんだろう。
みんなの期待に応えようと頑張っていたはずなのに、気づいたらみんな離れてしまって、最後に残ったのは虚しさだけだった。
そんな状況でも時間は止まってくれない、「就活」というイベントがやってきた。
幾度と聞かれるこの質問。
御社のため、社会のため、私は実現したいことを面接で答え続けた。企業研究や対策をしっかりやれば結構簡単に相手が求めてることを答えられる。相手が求めていることを察知するのは私の得意領域だ。順調に進む就活と合わせて私の心も安定していった。
今思えば、本当の僕がやりたいことを聞いている企業なんて一つもなかった。面接官は決められたことを聞いているだけ。誤解を恐れずに言えば、私が練り込んだそれっぽい答えで満足してくれる。
ただ1社だけ、少し様子が違った。
「それって本当にあなたがやりたいことなの」
「建前はいいから、今考えていいから、あなたが何がやりたいのか教えて」
ちょっと違うかもしれないが、こんなニュアンスで問うてくれた面接官がいた。それが、私が新卒で入社したリクルートだった。
手を変え品を変え何度も聞かれるこの質問がきっかけで、建前と方便で塗り固められた私の鎧が次第に剥がされていく感覚があった。
ふと思ったことだった。でもどんなに練り込んだ志望動機よりもそれは自然と僕の中から湧き出たものだった。
それから母親と話して、父親と話して、妹と話して。それぞれと話す時間を増やした。自分にもとことん向き合った。
そうやって自分の家族に向き合う中で、同じように上手くいっていない家族が世の中にはたくさんあることに気が付いて、家族社会学という学問に出会った。家族をひとつの社会システムと捉えたときにどんな問題を抱えているのか、どうやったら上手く機能するのか。大学の図書館に通って、貪るように学術書を読み漁った。今までたくさん勉強してきたが、自分の意志で、自分で決めて勉強したのはこのときが初めてかもしれない。
リクルートの最終面接で聞かれたこの問いに、僕はこう答えていた。
とことん自分に向き合って絞り出した、僕が本当にやりたいことだった。
1年ぶりに家族4人で集まったときに内定通知書を見せた。
"私"がもらったメガバンクの内定ではなく、
"僕"が掴み取ったリクルートの内定。
そしてそのときに父親から「また一緒に住めるよ」と言われた。
周りの期待に応えようと頑張っていたらほとんど失ったのに、とことん自分に向き合ったら本当に大事なものが戻ってきた。人生とは不思議なものだ。
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分業化が進んだ現代社会において、本当にやりたいことをしている人はわずかで、だからこそ自己実現欲求に駆られて「これは私がやりたいことじゃない!」とモヤモヤする人やキャリアに悩む人が増えていると思う。
事実、社会人の約8割がキャリア迷子になっているらしい。
ただ最近思うのが、やりたいことをやる前に、「自分が本当にやりたいこと」をきちんとわかっている人がそもそも少ないのではないだろうか。
コーチングをしていると、いろいろな方に出会う。
自分がやりたいことを話しているはずなのに、全然表情が明るくない人、思いが乗っていない人、語気が弱い人。
コーチは問いと傾聴のプロフェッショナル。相手が発する「やりたい」という言葉尻ではなくて、身体から滲み出る本当の感情を文字通り全身で傾聴して、感じとってフィードバックする。だからこそそうした違和感に気づくことが多い。
よく言われる話だが、義務教育ではああしなさいこうしなさいとルールに縛られるのに、いきなり就活で「あなたはどうしたいですか」と急にやりたいことを問われる。そして社会にでると「あなたはこうしなさい」というルールにまた縛られる。そんな理不尽な社会で、建前と方便で塗り固めた偽りの「やりたいこと」を握りしめて、本当の自分の声に目を向けずにみな戦っているのだと思う。
あのポジティブなナルトだって、里の皆のために火影になろうと本気で思うようになったのは、真実の滝での修行で強制的に自分自身のネガティブな感情を表出させ、自覚し、向き合ってからだった。
あのBLEACHの一護だって、自分の中に眠る正(斬月のおっさん)と負(白一護)を両方受け入れて初めて、自分の真の力を引き出すことができた。
思うに、本当の意味でやりたいことを見つけるためには、自分自身の根っこにある感情に向き合う必要があるのではないか。そしてそれは、自分一人で自問自答しているだけではなかなか難しいのではないか。
少なくとも僕は一人でどんなに考えても「本当に自分がやりたいこと」は引き出すことができなかったし、前述した面接官の問いがあって初めて、自分自身を偽っていたこと、暗い負の感情に見て見ぬフリをしていたことに気づくことができたのだと思う。
今一度、自分自身に問うてみてほしい。
それは本当にあなた自身が思っていることだろうか。
心の底から湧き上がる感情だろうか。
心の底からわくわくできるだろうか。
もし、素直にうなずけない自分がいるとしたら、誰かに話を聞いてみてもらうのもいいかもしれない。プロの力を頼るのも手だろう。
もしよかったら、僕もコーチをしているので興味があればいつでも連絡してほしい。(こちらのページからでも、twitterのDMからでも)
このnoteを最後まで読んでくださったあなたが、
いい子ちゃんな自分を変えたいあなたが、
本当にやりたいことを見つけたいあなたが、
最初の一歩を踏み出せることを切に願っている。