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【復職への道⑨】めっちゃ停滞してたけど前に進むことに決めた

休職に入って1年4ヶ月。
やっと決心できた。
復職に向けて進む。

会社へ復職意思を伝えた

復職訓練を始めて5ヶ月が経過した。
具体的に復帰検討する時期だ。

状況確認シートに記入

前回の面談で渡された「状況確認シート」を記入した。アンケートのような書類で、今の状況について、選択肢(できる、少しできる、できない)を選んで回答する。質問内容は色々だ。

「朝起きて会社に行けるか?」

回答に困らない質問もあれば、

「自分の役割を自ら認識して自発的に動けるか?」
「会社から求められる水準の8割達成できるか?」

少し考えてしまう質問もある。背伸びせず、今の状況を淡々と記入した。客観的な意見も欲しかったので、妻にチェックしてもらったが、相違は無いようだった。良かった。

担当者と面談した

状況確認シートを会社へ郵送し、健康管理室の担当者と面談した。面談はもう3回目だ。生活記録表を提出し、訓練期間にやってきたことを報告する。復職の意思も示した。面談結果はOKで、主治医から復職可能の診断書をもらうよう言われた。

OKでも産業医面談までが遠い

「復職可の診断書を手に入れたら、電話して面談の約束をしてください。面談でその診断書をチェックし、OKなら会社指定の書類を渡すので、主治医に見解を記載してもってください。その書類が出来上がったら、また連絡をください。産業医との面談を調整します」と。

今までの経験からすると、電話しても面談はすぐにはやってくれない。おそらく1週間後だろう。主治医への書類依頼も、仕上がりは1週間後だ。どれも相手あっての事なので、待ちの時間が発生する。言う通りに従ってたら、産業医面談まで1ヶ月はかかりそうだ。早く進めたいので、目処が経ったら面談予約していこうと思った。

「皆さん、そうしていただいているので」

早速、主治医に診断書作成を依頼し、1週間後に貰えることになった。会社に電話し、面談予約をしようとしたが、「診断書が手元に無い状態では面談予約を受け付けない」と言われてしまった。

貰える確約はあります。よっぽどの事が無い限りは大丈夫ですよ。そう言っても、「それはわかりますが、皆さんそうしていただいているので」と。そんなやりとりが続き、こっちは少しでも早く進めたい気持ちだと伝えました。理解は示してくれましたが、ルールですので断られ、謝られてしまった。

手元に無いと予約できない理由は何ですか?と言いかけたが、急に「こう言っている自分が変なのか?」と揺らいでしまい、「変な奴」認定される前に言葉を飲み込み、少しだけ不貞腐れた態度で了承し電話を切った。モヤモヤ感だけが残り、妻にも愚痴ってしまった。

主治医。ちょっと怒ってたけど、まぁ良し。

さて、主治医だが、前に進もうという決断に喜んでくれた。ここ3ヶ月ほどは「今週はどうでした?」「いや、会社に連絡できませんでした」「復帰間近は揺れますからね」のやりとりが毎週続いた思う。やっとこのループから開放される。

復職可の診断書を依頼した際、先生からは「このあとも会社で少し訓練のようなものをしてくれるんですよね」と言われたのだが、そんなものは無い。「いや、無いです。今が訓練です」と言うと、勘違いがあったようで「私はそう思ってましたが」と少しお怒り気味だった。確かに、たまにそのような話をされていて、何の事言ってるのだろうと思ってた。私はそれは残業配慮ぐらいの感覚で受けとってたので、「そうですね(=それぐらいはやってくれると思いますよ)」と適当に流していた。失敗した。

以前の私はこういう相違があると必死に言葉多く弁明していたが、今回は間を置いて「はい」とだけ答えた。どういう気の変化かわからないが、今までと違う対応をした。先生は「ま、別にいいんですけどね。診断書書きますよ」 と終わった。心のなかで「いいんだ?」と思いつつも、診断書書いてくれるそうだ。やった。

今の心境

晴れ晴れしているわけではないが、進むべき道が見えたことは良かった。霧の中を迷う日々はとても苦しかった。

図書館で過ごす日々に苦しくなっていた。自分で課題を探して、自分に課す。実績を積み上げて自信に変える。復職に必要な訓練であることは間違い無いのだが、私はこれを長くやり過ぎてしまった。この訓練で生み出せる成果が薄くなっていた。

復職訓練として図書館に通い始めたのが7月だ。既に5ヶ月も訓練した。当初は2ヶ月訓練して、9月から復職と考えていたがダメだった。9月が来ても復職できる自信が無く、会社に連絡ができなかった。その後はズルズルと毎月を繰り返してしまったのだ。

おしりに火が着いた

前に進むことを決めた要因はこれだ。

(1)お金の問題
貯金が無くなった。私の傷病手当だけでは生活は出来ない。毎月何十万円も貯金が減っていく。これが1年4ヶ月も続いたのだから恐ろしい。いよいよ、いよいよ本当の限界がきてしまった。毎月、月初になると収支を計算し、自転車操業の計画をたてるのだが、この時の「やばい」感がとんでもない。胃のあたりをギューっと締め付けて、全身から寒気がする。この瞬間だけは、「俺、どんな仕事でもやれるわ」と思えるのだ。10分後には忘れてしまうのだけど。

(2)歳とった両親
先日、久しぶりに帰省した。両親は既に定年している。あまり出歩かない二人なので、静かな日々を過ごしているようだった。久しぶりに会った二人は老けていた。そんな二人に私は心配をかけている。両親に比べたら、私は全然元気だ。両親の老けた姿を見て、働いて安心させてあげないと。そう思った。

(3)漠然とだが、いけそうな気になった
もちろん、訓練で色々やってきた成果もあるのだが、現実で色々な事が起きても、日々過ごせていることに気がついた。なんとなくだが、大丈夫そうな気がしてきた。そして、神社のホームページを作った頃から、働きたいという気持ちが芽生え、それが育ってきたのだ。

「働きたいですか?」

今そう聞かれれば、「はい」と答えられる。
やっとここまで戻ってきたよ。


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