
そばかすやホクロ多めな人が、チャーミングと思う理由。
顔には、その人を特徴づける印がついてる。
そのまんまが、好きだ。
唯一無二の形だから。
私はそばかす美人が好きだし、顔や首にホクロの目立つ人は、セクシーだと思う。
なぜだか、きゅんとするのだ。
男女問わない。
テニスやスキー、ランニングをしている人にはどうしたって惹かれる。
シミだって、厭わない。
健康美に憧れて、私もランナー歴8年目だ。
お日様を浴びて、身体を動かす人が好き。
当然、シミやそばかす、ホクロ、イボだって…ま、いろいろあるでしょう。
人生楽しんでる人なんだなぁって思う。
のびのび遊んできた人が持つ、特有の無邪気さがあって、話していて面白い。
子どもと同じ目線で一緒になって遊んで、うっかり日焼けしちゃってるような若いお母さんも、尊いよ。
私の頬には、幼少期からそばかすがついてた。
出掛けるたびに日焼け止めを塗る習慣など無かった。
のちにシミとなるような紫外線も、たくさん浴びたことだろう。
しかし、朝からお日様を浴びる暮らしは、健康そのものだった。
庭に咲き誇る花々に水やりをしたり、アリが巣に餌を運ぶ働きぶりを、じぃっと見つめた。
補助輪付きの自転車が愛車だ。お決まりのご近所一周コース。馴染みのお家に、一軒一軒止まっては、降りる。
玄関の前で「はい、どうぞぉ」と手のひらを差し出し、また乗り直して、ペダルを漕ぐ。
お隣の家に来ていたヤクルトおばさんになりきる、空想いっぱいのごっこ遊びを、延々とした。
鮮明な記憶に変わるくらいに、外で遊んだ。
夢中。無防備。
今で言うなら、フロー?ゾーン?
お日様のもと、日焼けなど気にせず没頭して遊べる時間は、幸せと思う。
大人も子どもも、ね。
もちろん、今は細心の注意を払い、日焼け対策をしているけれど。
8月の北海道、フルマラソンに出る時は日焼け覚悟だ。わかっているけど、やめられない。
小学2年生の時のこと。
友達が描いてくれた私の似顔絵に、心がぎゅっとなった。
画用紙いっぱいの大きな顔には、そばかすが星のように散りばめられていた。
その日にはじめて自覚した、他者との違いだった。
思春期になると、くせ毛や、一重まぶたが気になり始めた。
足が短いだとか、顔が大きいのではないかと、鏡ばかり見る日が続いた。
容姿のことを話題にして、人の特徴をからかうような同級生も一部いた。
そばかすに加えて、他者と比較して生まれる悩みの数は、増えていった。
一重まぶたは、何回も擦って皮膚をしごき、爪を立てた指で目尻からなぞって癖をつける。
すると、奥二重でいられる日が数ヶ月に一度くらいは、訪れた。
執念のような悲しい努力の甲斐あってか、6年生の終わりに、左目だけが完全な二重になった。
でも、片目だけとは。なんとも、アンバランスだった。
異常なほど鏡を見ては、落ち込んだ。
一人、ピアノを弾く時間だけが救いだった。
荒れた学級崩壊と、父の死を経験していた。
不安定な心のまま迎えた中学時代をどうにかやり過ごし、志望の高校に入学が決まった。
少しも楽しくない女子のグループが解散することに、安堵した。
本当の人生はここからだと、開放感でいっぱいだった。
新しい友人や、のちに生涯の趣味となる「大相撲」、そして音楽や良書との出逢いは幸運だった。
心から好きな仲間や趣味が増えると、容姿は気にならなくなった。
「やがて外見の美しさが衰えても、磨いた内面や学んだ知恵が消えて無くなることはない」
そんな考え方を知り、心の土台にできたことが大きかった。
そばかすの存在すら忘れて、青春を謳歌した。
食欲旺盛で、ミスタードーナツを頬張りながら友人と何時間もおしゃべりした。
一度に4つは注文しただろう。
アナログな時代。
オシャレの情報源はnon-noかananだった。
服やメイクは、真似ると可愛くなり、少しは垢抜ける。それはそれで大切なことだった。
ダイエット特集を見ても、その場限りのもの。
「りんごしか食べない」なんて、1日も続くはずはない。
誘惑にまけ、楽しいことを優先した。
周りもみんなそうだった。
札幌から上京して大学生になった。
メイクを本格的に始めたが、そばかすを全部消そうとすると、厚塗りになる。
童顔が一気にオバサンに変わり、げげっとなった。
本能的に何か違うと感じ、色白の肌を活かすべく、ファンデーションを薄く塗るだけにした。
当時大好きだったJUDY AND MARYの楽曲、
「そばかす」の大ヒットに救われた。
YUKIちゃん、ありがとう。
人生が楽しいと、そばかすが私の印とすら思えた。そこに、「そばかすが可愛い」言ってくれる人がちゃんと現れる。
心は無敵で、何でもできる気がした。
飛び回る暮らしで、勝手に痩せていく。
中国への短期留学では、炎天下のもと、街中も砂地も汗だくになって歩いた。
日焼け止めを塗った記憶は無いが、当時の写真の笑顔は、寂しかった時代とは別人だ。
美容的にはありえない毎日だったはず。
1997年、携帯電話もまだ無かった。
「何も知らない幸せ」を令和で味わおうとしたら、意図的にデジタルデトックスをしないとね。情報には詳しいのに、自分は何をしたらよいかわからないというのでは、悲しい。
私がそばかすに最も悩んだ時代にスマホを持っていたら、絶望の淵に追いやられたかも知れない。
なぜだか、容姿を気にしなくなった途端、欲しい状況が生まれる。
結婚し、2人目を出産した直後、不思議なことになんと、右目も二重となった。
あれほど強く望んでやまなかった、両目ぱっちりの二重が、忘れた頃にもたらされたのである。
「執着を手放すと手に入る」とは、このことか。
娘が19歳となった。かつての私のように容姿を気にしている。
目を大きくしたいとか痩せたいと、悩みも欲も止まらない。
「そのままのあなたが美しい」なんて正論や、私の経験からの思いなどは、届かない。
彼女と私は、違う時代を生きる別の人間だ。
日々、スマホから流れる膨大な情報の渦に惑わされている。作り物の女の子の顔を羨む。
どのメイク用品がいいだの、美容整形したいだの、言うことも日替わりメニューのように、コロコロと変わる。
ただ、「受け身の娯楽よりも、絵を描くような自発的な楽しみが本当の喜びである」とは、彼女自身がわかっている。自身の言葉でそれを発する。
知的に障害があり、他人基準で動くと、人より出来ないことばかりで、「自信を持つのが難しい」という。
ありのままの自己をどのように受け入れ、愛するのか。
彼女ならば、必ずや乗り越えると、ゆったり構えて信ずるのみである。
しかし、正直なところ不安は尽きない。
かくいう私も、40代後半になると、そばかすがただのシミにしか見えないと嘆き、ネットの情報を漁ったこともあった。
実は、娘に言われた言葉に傷ついたのだ。
「お母さん、そばかす無ければキレイなのに、もったいないねー」
素直に調べ、高価なビタミン剤や美容液にも期待して長期間頼ってみた。元のそばかすを消すには至らなかった。
これも、やめて諦めた今頃になって、肌のトーンが明るくなった気はするが。
幸い、薄づきでカバー力の高いファンデーションも世に出回っている。
遠目には、顔じゅうのそばかすもかなり隠れる。私はそれで、充分と思う。
コンシーラーまで重ねると、肌が重たい気がするし、シワっぽくなるのでつけない。
あまり神経質にならず、深い睡眠やシンプルなスキンケアで、健やかな肌を保つことに注力している。
「すっぴんの時の素肌が美しい」のが、私の美の基準。
ネットで、シミそばかす対策を調べると、
「今のあなたではダメだ」と言わんばかりに、高額なスキンケア用品や美容手術を勧められる。
確かに最新技術で悩みが解消するのなら、生活の質は向上すると期待できる。
自信を持って人前に出られるようになり、積極的になる人もいるのだろう。
悩む人を救う為に、研究に命をかける人、美容の仕事に誇りを持つ人のことをまた、尊敬もしている。
美容の商品やサービスを購入する時、人の幸せを願う気持ちを頂くことも、数知れず。
しかし、利用する側にありのままの自己を愛おしむ思考が欠けたままでは、あら探しからの脱却は不可能だ。
ネットを見続けている限り、また別のパーツが気になり始める。
ルッキズム(外見至上主義)に、病的に悩む若年層がいる。摂食障害や醜形恐怖症に苦しむ若者は、日本人だけでは無いようだ。
他人基準の物差しをアンインストールしない限り、終わりのない欲に支配されたままである。
そばかすと長年つきあってきただけに、そばかすやホクロ多めな人を見ると、ひいきめに思う。
ちゃんと悩んだり、外遊びが好きな、お友達になれるかもしれない人だから。
そばかすはチャーミング。
自分を特徴づける唯一無二の印と思うと、一つ一つが愛おしいんじゃない?
そばかすこそ素敵なんだと、文章にしたくて、あたためていたのだ。
そばかすやホクロ多めのあなたが、自信もって幸せな人生を歩めますように。