あなたのおかげを求める私
あなたのおかげで・・・
あなたに出会えて・・・
何て言葉を貰えることで、貢献感を得ていた。
そうすることは、相手のためであるし、利他的になっているのだと思っていた。
そうすることで、相手の悩みが解消されたり、成長したり、それに貢献出来ているのだと思っていた。
当初流行っていたアドラーさんの本を読み、様々なことに衝撃を覚えて、まさに「思い込みが変わり」まくっていた。
そんな中でも、「自立」に関することは衝撃的だった。
当初、私は、教育の部署にいて、「今心さんが良い!」と部下の子たちに言われて、自分のやり方は間違っていなかったのだと、みんなのためになっているのだと思い、やる気にも満ち溢れていた。
周囲の人からも、向いているよね、何て言われて、自己肯定感だってあったろう。
数年後に部署が変わり、内心はボロボロでやる気もなくなり、生きる気力さえ失っていながら、なんとか仕事を続けていた。
そんな中、アドラーさんの著書に出会い、読んでみた。
本当は、自分の力で成し遂げたのだと感じて貰わなければならない。
「おかげ」なんて感じていたら、本当に意味での教育の失敗だと。
生徒から感謝されたがっているのなら、「おかげ」という言葉を待っているのだとしたら、それは結果として生徒の自立を妨げている。
こうして説かれるアドラーさんの教えは、その数年間の教育部署にいた僕の考えを、思い込みをすべて覆すものだった。
このことを当時の頃から知っていたら、また違った接し方をしていたのだろう。
本当は、自分の人生は自分で選ぶことが出来ることを伝え、それを感じてもらえるようにするのが良かったのだろう。
自分の力で出来たと感じてもらい、何かあったときはいつでも力になると、そんな距離にいるのが良かったのだろう。
未だにどこかで「おかげ」を求めている私がいる。
でも、知っていることと知らないでいることは大きな違いだ。
これからも、たくさんの思い込みを抱えて生きて行くと思う。
これから、どんな思い込みが壊されていくのか、きっとそれも楽しみの1つだ。