今心

言葉を綴って、何かを伝えられたらと思っています。

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最近の記事

ひとりじゃない

一人じゃないという人が一人じゃないというだけで 一人であることにはかわりないから そういうことじゃないんだよ 一人じゃないという人が何人いようと 一人じゃないと言っている一人がたくさんいるだけで 一人であることはかわりはないから ひとりじゃないから何だって言うんだろうね

    • 積読を見つめて

      積読があり過ぎてどうしようもない。 買わなければいいのに買ってしまう。 大小さまざまな本箱には詰め込めるだけ詰め込んであるし、段ボールの中もいっぱい。衣装ケースやら本ケースにも詰め込んである。 最近では頑張って、ブックオフのキャンペーンの時に売ったりはしている。 売ったは良いけど、また買うので減らない減らない。 電子書籍のセールで買ったものは、ほぼそのまま。 多分、買ったはいいけど、死ぬまで読まない本もあるのだろうなと。 何故か積読本じゃなくて、買ってきた本を読むから、積

      • 昔に比べて気を使わなくなったのは

        note連続チャレンジ気づかなかったけど、今更。 昔は本当に気を使っていた。 食事時間は一定じゃないと嫌だったし、食品添加物はいわゆる合成調味料とか合成保存料とか使っているのは食べないようにしていた。 カップラーメンとかも。でも、ポテチとかは食べてたな。 おかずが少ないとこれだけ?って思っていたし、健康に良いものを求めていた。 今も添加物系は気にしているし、カップラーメンとかは食べていない。 でも、昔に比べていい加減になっている気がする。 かつ、食べなくなっている。

        • したいって希望だ

          ~したいって思えるって羨ましいな。 食べたい見たい聞きたい行きたいなんてさ。 なんか全然思わなくなってる。 したいけど出来ないってのは辛いのだろうけれど したいことが無いってのも結構辛い。 最終着地が生きたいなんだろうな。 生きたいのは何かしたいからなのかな。 生きたいなんて普段の生活の中ではそうそう思わないことだけれど、生きたいのは何か理由があるから? 生きる理由じゃなくて、生きたい理由。 したいがあれば、きっとそれを希望に生きられるのかな。 したいこと全部やる!なん

          共有できる幸せ

          誰かに何かを共有したいって気持ち 楽しいことも苦しいことも 誰かに伝えたいって そんな気持ち 楽しいことは共有したいって思える誰かと共有して 初めて楽しいってなるのかもしれない。 苦しいことは共有して、話を聞いてもらえて やっと思い出になるのかもしれない。 気兼ねなく共有できる人 共有したいって思って貰える人 そんな人がいたらね

          共有できる幸せ

          お土産のため

          旅のこだわりは、そこにしかないお土産を買うこと。 そもそも旅の目的がお土産を買うため。 観光はついでだし、体験も特にしないし、美味しいものは食べるけど、お土産買う場所の近場で探すくらい。 なので、お土産のこだわりを 1,そこでしか買えないもの 2,ネットでも買えない 3,限定品ならなお良い この条件に沿ったお土産を探して探して探してから旅に出る。 最近では、チャットGPTさんにも聞いてみたり。 意外とネットで探しても見つからないものなんですよね。 でも、現地で探している

          お土産のため

          戦い挑むそのために。

          ”やって後悔する方がいいなんてことを言うのは、やってしまった後悔の味を知らない、無責任な第三者の台詞だ。だけど、だけど、一番いいのは、やって後悔しないことだ。” 物語シリーズより、神原駿河の言葉。 物語シリーズは名言続々だから大好き。 挑戦してよかったかどうかなんて、挑戦しなくちゃわからないんだよね。 やろうかどうしようか迷っている時点でやろうと思ってるんだよな。その中で言い訳してやらないようにしてるだけでさ。 だって、本当にやろうとも思わないことなんて頭にすら浮かばない

          戦い挑むそのために。

          楽しむことについて

          ちょいちょい、楽しいことに関して考えてしまう。それが楽しけりゃいいのにね。 楽しいことが無いといつも思っているけれど、きっと楽しむ心がないんだと、そこに落ち着く。 楽しいことをしたいと思っているけれど、多分このままじゃ何をしたって楽しくない。一時楽しくても、裏では、はぁどうせ…みたいな気持ちがある。だから、根本的にはその部分を変えないことにはどうしようもないんだろうなって。 そう言いつつも、今の生活を変えるというか、ルーティンみたいなのを崩すのも嫌だなぁみたいにも思って

          楽しむことについて

          フレンズカースト

          フレンズカーストなんてものがあったのなら、最下位だろうな。 こんなこと思い出したら、友達ってなんだよって思ってしまうけれど、わずかながらでも実感してしまう。 そんな風に思うことなんて、友情として失礼なんだろうけれど、どこかで思ってしまう。 結婚した友人を見たり、自分の好きなことをして好きなように生きている友人を見たり、あーなんか昔は僕のほうが楽しく生きていたのにな…と思わさせられる。 あれ、さすが結婚するだけあって、おしゃれになってない? ボーリングもうまくなってる、カ

          フレンズカースト

          積極的一人と消極的一人

          積極的一人と消極的一人は違う。 例えば、 やりたいことがあって、一人の時間が欲しくて、一人でいたいから一人でいるのと、別に一人でいいか程度で、特にやりたいこともなく、だからといってわざわざ相手を作るほどでもないか、程度の間には大きな隔たりがあるように思う。 積極的一人は、一人を選択しているわけで、消極的一人は選択をしないで流れているだけ。何か決めるのと決めないのでは大きく違うんだよな。

          積極的一人と消極的一人

          生きていれば幸せ

          生きていれば幸せだなんて言えないけれど そんなことは聞こえのいい言葉かもしれないけれど 生きていればきっと良いことがあるは 否定できない もちろん、良いことが無いかもしれないけれど 良いことが絶対無いとも言い切れない 未来のことなんて誰もわからないから

          生きていれば幸せ

          したいことがないしたい

          このまま僕が死んだなら したいことがないまま死んで したいことがない死体になるのだな したいことがしたいまま したいことがしたい死体になったなら あれもこれもと心残りに悩まされ なかなか成仏できないかもね したいことがない死体なら 何も思うことなど無くて すんなり成仏出来るかな したいこと ずっと探して彷徨って したい探しをするのかな 死体探しをするのかな

          したいことがないしたい

          上司と同じことをしてると気付くとき

          あんな風にはなりたくないと思っていた上司と似たようなことをしていることに気付く。 あそこまでは酷くないつもりだし、それを意識するあまり逆に出来ていなくて、成果としては上司のように結果を出せていない。 上司と同じ立場になった時、色々と上司の気持ちも分かってきたことがある。あれやこれや指示を出して、めんどくさいことを言ってきていた上司。 うるせぇなとか、現場のこと考えなくて指示するだけは楽だよなとか思っていたけれど、実際に上司の立場になった時、あぁそうかと、こんな風に指示を出さ

          上司と同じことをしてると気付くとき

          何をしていれば正解なんだろう

          いや、きっとわかっている、正解なんて無いことくらい。 でも、自分の中で心地良いというか、許せている? 駄目じゃないと思えるようなこと。 別に、世界平和に貢献しているとかそういうんじゃない。 仕事してれば、なんというのだろう罪悪感のようなものはない。 生きていて良いんだと、そう思えるなにか。 家で一人ぼっとしていると考えてしまう。 それが嫌だから何かしようと焦るけど、何をしててもこんなことしてていいの?と思ってしまう。 どんな娯楽的なことをしていても、それが好きで、楽しく

          何をしていれば正解なんだろう

          休みが怖い

          休みがあっても、何もしたいと思えないし、予定も無い。 かといって、予定があるとそれはそれで面倒に思う。 小さな、あぁこれ買わなきゃなとか思って、いつものどこかに出かけるくらいがちょうどいい。 誰かと一緒に何かをするのも面倒に思う。 友達とのご飯でさえも面倒くさい。行ったら行ったで楽しいけれど、何かするということがすでに面倒に思ってしまう。 なんにもしていないくせに、何かをしようとするのは億劫で。 違うんだろうなぁ。なんにもしてない日々に慣れしまったから、何かをすることはす

          休みが怖い

          自分が選んだものばかり。

          自分で選んでいないものなどあるのだろうか? どんな状況だろうときっと、自分が選んだ結果が今の自分だ。 そんなこと言ったってあの場面ではあぁするしかなかったとか、他に選択肢がなかったとか色々あるだろうけれど、でも結果的に選んだのは自分自身だ。あとは、その道を選んで良かったかどうか、良くするかどうかだろう。 僕はずっと道を選ばないことを選んでいる気がする。 前にも書いたように、実家の喫茶店を継ぐのか継がないのかの決断をずっと先延ばしにするということを選んでいる。その結果が今の僕

          自分が選んだものばかり。