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夫婦喧嘩は犬も食わない。「自由の相互承認」という高次元での話し合いには至らない。
昨日、夫と口論になった。
その結果、夫の性格と私の性格の噛み合わなさが改めて浮き彫りになった。
私はポンコツだから「予定を立てて行動したい派」だ。
先の見通しが立たなかったり、
予定が急に狂ったりすると感情が制御できなくなる。
そういう特性はこれまで数年間一緒に過ごしてきて夫も十分承知しているはずだ。
なのにその状態を回避するよう協力してほしいと
お願いしても一向に状況は改善されず、
今でもこうしてたびたび口論が起こるのは、
そもそも夫が「予定を立てずに行動したい派」だかららしい。
こういうところが夫の美点でもあるのだが
(ユーモアというのは予定調和が崩れた時に生まれる)
一緒にいるのが私という人間なので非常に具合がわるい。
自由すぎる夫の行動が私の心の自由を脅かしている、
というふうに私は感じている。
(このことは今文章を書きながら言語化しているのでまだ整理して伝えられていない)
生活空間がモノで圧迫されるのも嫌だ。
新しくモノを買ったら古いモノは処分してほしい。
前々からそう言っているのにそれが守られたことはない。
それを指摘したら「自分は買ったら捨ててるの?
読まない本ばっかり買って積読してるのはいいの?」
って、話題をこちらへすり替えて私を責め立てる。
話がどんどん具体的な方向へとズレていく。
私はそういう具体的な話をしたいのではない。
「私の特性を理解し、協力してほしい」
と言っているだけなのだ。
言いたいことはいつも同じだ。
それを言うと「俺の性格も理解してほしい」となり、
お互いの主張がぶつかり合っていつまでも話がまとまらない。
夫と私の利害は一致している。
それは娘に怒らないでほしい/怒りたくないということだ。
そのための予防策の解釈がお互いにズレている。
夫は「私が怒りそうな場面では育児を代わる」。
例えば娘が決まってイヤイヤを発動する風呂などだ。
しかし、私からするとそんなのは場当たり的だし、
むしろ私から成長の機会を奪っている。
育児のストレスは避けようがない。
それは実践によって経験を積まなければ
乗り越えられないことなので
逆に私にやらせてほしいのだ。
私がお願いしているのはそうではなく、
「日常の(育児以外の)ストレスを軽減してほしい」ということだ。
その一つが前述の「予定が未定、はやめてほしい」ということや
「モノを増やさないでほしい」ということなのだ。
それを夫は「自分の自由が侵害されている」と感じるのだろう。
世の夫婦がこういう話し合いをどう解決しているのかが知りたい。