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「夜警ども聞こえるか」を読んだ感想
(前置き:なるべくネタバレは控えたいため、いまいち飲み込みづらい文章も許してほしい。そして、もしすでに手元に「夜警ども聞こえるか」がある人は、今すぐに読んでほしい。この記事は後回しにしてくれると幸いである。気になっている、ぐらいの人がもっと気になってくれれば、この記事の役割としては最大限の功績を果たせたと言える)
SNS発の作家というのも、今では珍しくない。漫画であったりエッセイであったり、その両方の性質を兼ね揃える作品は随分と増えたように思う。投資家のハウツー本といった作品も数えると、SNSはそういった作品を生み出す源泉として機能するようになった。
「夜警ども聞こえるか」の著者である皮肉屋文庫さんは、Xで活動する人物である。
『夜警ども聞こえるか』は本日発売です。
— 皮肉屋文庫 (@steven_pumpking) January 28, 2025
バレンタインのチョコレート10枚分を犠牲にする決心がついたなら(15枚分と言えた世界はどこへ行ったのですか?)、この不確定で不気味な大学へ足を踏み入れてみましょう。https://t.co/TyyjgqQ1Hd pic.twitter.com/LgWpsfrJrG
フォロワーは今日の時点で6.4万人。それだけの人々が彼(性別を知らないので、便宜上彼と呼称する)の作品に興味を引かれている。私も彼の投稿するポストが好きでフォローしていた口だ。乱暴に言ってしまえば彼の作品は「世にも奇妙な物語」のホラー回のようなホラー、と想像してもらえればわかりやすいかも知れない。時折コメディチックなものも投稿され、そういう雰囲気も私は好きだ。
「先生、私と娘はどうなるんですか!」
— 皮肉屋文庫 (@steven_pumpking) January 13, 2025
「あなたの家は先祖代々、女性だけが呪われている。残念ながら私には太刀打ちできません」
「そんな……」
「ん、お前の呪いだったの?」
「あなたは……!」
「全部おれの分だと思ってさ」
「まさか……!」
「食っちまった」
「食い尽くし系旦那!!!」
現代ホラー奇譚
もし私がこの書籍を一言で称するなら、現代ホラー奇譚とでも呼称するだろう。ホラーと奇譚を続けており、MECEではない名前をつけているところが、如何にも素人の名付ける名前だと思われるかも知れない。それは一理あるのだが、本書はあまりにもメタ構造が強いと私は感じたため、こういう命名もありだと思う。ホラーであり、奇譚なのだ。
私は実はあまりホラーやミステリー、サスペンスといった分野の物語が得意ではない。得意ではないというのは好きではないという話ではなく、伏線や作中のつながりに気付けないということだ。文章を読んだそばから忘れてしまうから、読書メモは欠かせない。だが、こういう物語は一気に読んでしまいたい。なので、実用書とは違っていちいちメモを取らない。ということで、得意ではない。
だから普通に読んでいるとメタ構造に気付けないこともあるのだが、本書は否応なくそれを眼前に見せつけてくるようだと感じた。それこそ、金縛りにあっている時に、じわじわと怪異がにじり寄ってくるように。視界を埋め尽くされるように。
多分、私が気付けていない構造もあるはずだから、他の人の感想が流れてくるのが楽しみだ。
これは皮肉屋文庫という物語
本書の想定読者はかなり幅広いのではないかと思う。SNSでは、基本的に長い文章というのは好まれない。皮肉屋文庫さんのポストは、140字以内のポストのツリー構造になっており、全体はXに投稿されるものの中では長い方だろう。しかし、ツリーになっていることもあり、まとまりがわかりやすいので受け入れられやすいのかも知れないと思う。本書を執筆されるに当たり、既存のポストを改善したものが加わることは出版の告知時にアナウンスされたので、ファンの私としては「まぁほとんど知ってる話だったとしても、お布施だと思えばいいや」という気持ちで購入した。
結果として、確かに読んだことのある話はいくつもあったのだが、ポストをただ転記しただけのものではまったくない。元々ツリーにまとまっていた1つ1つの短編ホラーは、その短編を跨いだつながりはない。1つの短編は1つの短編である。しかし、それは読者の視点からその物語を見たときの見え方であり、著者である皮肉屋文庫さんから見るとそうではない。それらは、彼の人生という1つの物語で紡がれる思考や体験の一部を切り取ったものだ。個々の短編ではない。最後にはそれを分からせられるというか、自分もこの物語に関わった1人物なのだと、無関係ではいられないのだと感じさせられる。
現代しか読めない物語
帯に掲載されているのだが、この物語にはボイスレコーダーが深く関わってくる。現代でも弁護士なんかは今でもこの手のボイスレコーダーを使うかも知れないが、一般人がこれを使うことは減ってしまったと思う。スマホアプリで事足りるからだ。
ファンタジーでもない限り、物語はそれが書かれた時代に応じて様相を変える。令和初期の今平成初期の時代を描くのであれば、著者が気を配る限り矛盾は生じない。例えば、携帯電話のディスプレイをタップする、みたいな文章を登場させない限り破綻しない(若者向けの注釈:昔の携帯電話、今で言うスマホはタッチディスプレイではなく、ボタンで操作するのが一般的であった)。本書はそういった時代考証さえ巻き込んで私を楽しませてくれたように思う。
だからこそ、今読んでほしい。今、SNSで善意も悪意も類推も事実も何もかもがごった煮になった世界に問いかける一つの警句のような本書は、一人の作家の人生の一部のような濃密さがある。
夜警ども聞こえるか
本書を読み進めるうち、徐々に物語が失速したような感覚に見舞われた。起承転結の結びにあたり、そういう感覚に陥ることはよくある。話はいずれ終わらせる必要がある。私がいつまでもこの物語の転びを楽しんでいたいと渇望するため、そう感じるのだろう。
そう感じ始めると、先を読み進めるのにためらいも出てくる。失速した物語には魅力が欠けるからだ。だが本書は、その失速の中にさえ、何かあると思わせてくる。妙な失速感、喪失感は、この先になにかある、と。なにかが欠けている。
届いたその日に一気に読み進めてしまった、あまりにおもしろい現代ホラー奇譚である本書を、世間がどう評価するのか。他の人にはどう見えたのか。それらを接種することを含めて本書を読み終えたと言えるような気がする。
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