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25ヶ月連続投稿と谷崎潤一郎著「東西味くらべ」


先日、noteから「お知らせ」がきた。

10月31日までに記事を投稿すれば、「25カ月連続投稿」です。
記事を書きませんか?



つまり、あなたはだいぶ長いこと記事を投稿していないけれど、ぼちぼち書いてみてはいかが? 10月31日までに書けば25カ月連続投稿ですよ!
と、いうことなのだろう。

たしかに
夏の疲れによる体調不良に加え、手指の不調も重なり、記事を書くことが出来ずにいる。

しかし、
noteの端っこの端っこにちょこんと腰をかけているような、こんな私に
25カ月連続投稿のお知らせがくる。
連続投稿したからといって、何かが変わるとも思えないが、

小さなことを大切にしたい。

何を書こうか?
困ったときには今読んでいる本が頼り。

谷崎潤一郎の著書2冊



『少将滋幹の母』(少将しげもとの母)を借り出すために図書館へ行き、ついでに借りた本が『東西味くらべ』


谷崎潤一郎著『東西味くらべ』
ついでに、と借りた本が大当たりだった。


面白い。
これはもはや「味比べ」ではなく、谷崎潤一郎による「味の西高東低論集」だ。

いかに上方(大阪、京都)の食べ物が素晴らしいか、それに比べて東京の味がいかに劣っているか、 そのことを終始一貫、語り、綴っているのだ。相変わらずの流麗な文章で、まるで子供のよう、こんなふうに。



僕思うに、元来東京というところは食い物のまずい所なのだ。純粋の日本料理は上方に発達したので、江戸前の料理はその実田舎料理なのだ。(本文17ページ)

なんという偏見だろうか!
ページをめくるごとにこの偏見は度合いを増し、
文豪はもはや単なる食いしん坊と化す。


僕は少なくとも三日に一遍は美食をしないと、とても仕事が手につかない。美食は僕の日常生活に必須条件となっているのだ。

本文14ページ

文豪、大谷崎と呼ばれた人の食卓は常に彼の好物で溢れていたという。
『谷崎潤一郎=渡邊千萬子往復書簡』の中で渡邊千萬子さんがこんな風に綴っている。

夕食は決まって6時半に始まりました。テーブルの上は、いつも並べ切れないほどの料理で溢れていました。谷崎は、食卓に着く家族には、たとえ家のなかで着る服でも、キチンとした着方をするようにと、求めました。それが農家をはじめ食を提供してくれる人々への礼儀だと言って。

谷崎潤一郎が大切にしていたことの一つなのだろう。



お読み下さり、有難うございます。
☆ヘッダーの写真はズーラシア動物園所属、インド象のジュリー、
(ジュリーは、私が柵の近くまで行くと、奥の方から歩み寄ってきてくれました。その姿が可愛く、私は暫く立ち去ることができませんでした)
☆記事中の写真は横浜市立図書館の蔵書を撮影しました。