![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120295765/rectangle_large_type_2_e9f84d4f26d719a9578b472e182d0555.jpg?width=1200)
25ヶ月連続投稿と谷崎潤一郎著「東西味くらべ」
先日、noteから「お知らせ」がきた。
10月31日までに記事を投稿すれば、「25カ月連続投稿」です。
記事を書きませんか?
つまり、あなたはだいぶ長いこと記事を投稿していないけれど、ぼちぼち書いてみてはいかが? 10月31日までに書けば25カ月連続投稿ですよ!
と、いうことなのだろう。
たしかに
夏の疲れによる体調不良に加え、手指の不調も重なり、記事を書くことが出来ずにいる。
しかし、
noteの端っこの端っこにちょこんと腰をかけているような、こんな私に
25カ月連続投稿のお知らせがくる。
連続投稿したからといって、何かが変わるとも思えないが、
小さなことを大切にしたい。
何を書こうか?
困ったときには今読んでいる本が頼り。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120299203/picture_pc_f50650a2f2ae9e901d9d9a6c09a91130.jpg?width=1200)
『少将滋幹の母』(少将しげもとの母)を借り出すために図書館へ行き、ついでに借りた本が『東西味くらべ』
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120299495/picture_pc_297a80a1e7ac0d859a8a7eba7beeb28e.jpg?width=1200)
谷崎潤一郎著『東西味くらべ』
ついでに、と借りた本が大当たりだった。
面白い。
これはもはや「味比べ」ではなく、谷崎潤一郎による「味の西高東低論集」だ。
いかに上方(大阪、京都)の食べ物が素晴らしいか、それに比べて東京の味がいかに劣っているか、 そのことを終始一貫、語り、綴っているのだ。相変わらずの流麗な文章で、まるで子供のよう、こんなふうに。
僕思うに、元来東京というところは食い物のまずい所なのだ。純粋の日本料理は上方に発達したので、江戸前の料理はその実田舎料理なのだ。(本文17ページ)
なんという偏見だろうか!
ページをめくるごとにこの偏見は度合いを増し、
文豪はもはや単なる食いしん坊と化す。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120301474/picture_pc_28c0e0b01a0bf8a7e415da8da3a33bc8.jpg?width=1200)
僕は少なくとも三日に一遍は美食をしないと、とても仕事が手につかない。美食は僕の日常生活に必須条件となっているのだ。
文豪、大谷崎と呼ばれた人の食卓は常に彼の好物で溢れていたという。
『谷崎潤一郎=渡邊千萬子往復書簡』の中で渡邊千萬子さんがこんな風に綴っている。
夕食は決まって6時半に始まりました。テーブルの上は、いつも並べ切れないほどの料理で溢れていました。谷崎は、食卓に着く家族には、たとえ家のなかで着る服でも、キチンとした着方をするようにと、求めました。それが農家をはじめ食を提供してくれる人々への礼儀だと言って。
谷崎潤一郎が大切にしていたことの一つなのだろう。
お読み下さり、有難うございます。
☆ヘッダーの写真はズーラシア動物園所属、インド象のジュリー、
(ジュリーは、私が柵の近くまで行くと、奥の方から歩み寄ってきてくれました。その姿が可愛く、私は暫く立ち去ることができませんでした)
☆記事中の写真は横浜市立図書館の蔵書を撮影しました。