#007 優れるな、異なれ。「自分」であり続けるために。
Cover photo by Jennie Razumnaya
短期集中連載「インサイド・アウト – これからの『働く』の方向性を考える」 最終回(全6回)
この連載の最後に、インサイド・アウトの視点から私たちが問われていること、私たちができることについて考えてみたい。
それは、優れるな、異なれという考えにつながっていく。
「異なり」に目を向ける
「優れるな、異なれ」というタイトルから、「あぁ、オリラジの中田敦彦の、あれね!」と連想する人も少なくないだろう。そう、そのとおり。ご存じでない方もおられると思うので、簡単に説明しよう。
中田敦彦の持論「優れるな、異なれ」
お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦。養成所時代に「武勇伝」で華々しくデビューするも、その特異な芸風ゆえに「お前らなんて芸人じゃねぇ」と辛辣な批判を受ける。「じゃ、その芸人とやらになってやる」。その日から一心に漫才芸を磨く。が、結果がでない。誰の記憶にも残らない。不遇の期間は10年に及んだ。自らの才能を疑う日々。そして、ようやくわかったこと。
「こうあるべき」で求められるネタやコントは捨てる。歌とダンスとおふざけのライブを全力でやる。代表作となった「PERFECT HUMAN」の動画再生は今や8000万回を超え、紅白歌合戦にも出場。2025年1月時点で543万人のチャンネル登録者を誇るYouTube大学では、学びとプレゼンを掛け合わせた異才を存分に発揮している。
こうして辿り着いた彼の持論が「優れるな、異なれ」である。
一方で、そんな中田動画を知って、「我が意を得たり」とするアスリートがいる。
パラアスリートの、もうひとつの「異なれ」
東京2020パラリンピックの銀メダリストであり、大会MVPに輝いた車いすバスケットボールの鳥海連志。両手指の欠損、両足の変形障害とともに生まれる。3歳時に両足の切断手術。ちょうど遊びのおもしろさに目覚める年頃。友達となんでも一緒にやる、連れ立ってどこへでも行くのが当たり前の毎日。逆立ちで走り回る。腕を使って階段を上り下りする。5才にして「腹筋が割れていた」と笑う。「幼稚園時が最初のモテ期だった」とも。
16才で日本代表に選出された逸材も、シュートでエースのヒロ(香西宏昭)に勝とうとはしない。スピードでは後輩のリュウガ(赤石竜我)にかなわない。ただ、腕白な幼少期に鍛えられた強靱な体幹とバランス感覚を強みとして、車いすの座面を20センチも引き上げる異次元の挑戦を成し遂げる。
唯一無二のオールラウンドプレーヤーとなった彼は、現在の境地をこのように語っている。
活躍する舞台も世代も違う二人だが、共通していることがある。それは、「ないもの」を追い求めるのではなく、「持っているもの」に目を向けるということ。
人的資本経営を追い風に「自分」を晒す
前回の記事では「人的資本経営とは多様性の価値に賭けること。」と述べた。いうまでもなく、これは企業目線での捉え方だ。
では、人的資本経営の時代に、私たち一人ひとりに問われているのはどのようなことだろうか?
これまで、企業の人材(私たち)は「人的資源」として捉えられてきた。資源は使用され、消費されて、その役割を終える。悲観的な解釈かもしれないが、それが「資源」たる所以である。
一方、「人的資本」の概念においては、私たちが持っている知識、スキル、経験が「価値」あるものと認識される。だからこそ、その価値は向上させることができるという見方に立って、企業は社員のスキルアップ、モチベーションの向上、キャリア形成支援、働きがいの向上などのために投資をおこない、リターンを得ようとする。資源は現在価値の活用にとどまるが、資本はその価値を将来に向けて高めていくことが期待されている。
このような背景と狙いを理解すれば、私たちに求められているのは、自身が持ち合わせている価値に目を向けること、そして、価値を高める役割を自覚し、その責任を果たすことだということがわかる。
人的資本経営は、私たちにとっての追い風である。向かい風に背を向けて追い風としてしまうような荒業も時には必要だが、ここではそんな芸当もいらない。追い風を背に受けて、颯爽と闊歩していけばよい。
「違い」で価値を生み出す
前回の記事と同様に、チームミーティングの状況を想定してみよう。参加しているメンバーの中で、自分の持つ違いはなんだろう、と考えてみる。優れている/劣っている、という視点ではなく、そもそも持ち合わせていることに意識を向ける。そして、どうしたらそれを価値として提供できるかについてさらに考える。
他者とは違っていて当たり前。いたずらに同調することなく、自分の存在を薄くしたり消そうとしたりすることなく、自分が「自分」であり続ける。異なるがゆえに自分だけが差し出せるものを価値として示す。
「個」としての異なりを活かして会議でのディスカッションや仕事のアウトプットに貢献することは、私たちが手にする権利であると同時に、負うべき責任といってよいだろう。
会議のテーマに関して専門知識に乏しい、この組織の環境にまだ慣れていない、世代が違うなどの、他者と異なる立場の者のもつ価値はなんだろうか?
それは、たとえば、ものごとに対して偏見や先入観なくフラットな見方ができる、他者にはない視点で事象や課題を捉えることができる、といったことかもしれない。その価値によってチームに貢献しようとすれば、メンバーの多くが見過ごしてしまっているようなことにも気づくことができるだろう。気づいたこと、違和感を覚えたことを率直に伝えてみる。
このような発想に立って行動することが、違いが「価値」を生むことにつながっていく。
内なる多様性の可能性を信じる
前述の会議のケースで取り上げた「世代の違い」は、私たちの「外的属性」に着目しているが、多様性については従来の概念より一歩踏み込んだ捉え方が脚光を浴びている。
これまで多様性といえば、自分と他者の違い、ある個人と別の個人の違いがテーマだった。つまり、「個人」が多様性の最小単位であり、そこでは、性別や国籍、年代などのデモグラフィック(人口統計学的)属性が問われることがほとんどだった。
しかし、最近では、ひとりの人間がもつ多様な信条や価値観が注目されている。私たち一人ひとりは、多様な経験やものの見方によって成り立っていて、そのそれぞれに価値があり、それらが総体として個性を形づくっている。個人の内的な多様性であり、イントラパーソナル・ダイバーシティ、もしくはひとりダイバーシティと呼ばれる。
それは、外的な属性の違いを超えて、一人ひとりの内なる多面性に目を向けていくことの重要性を示唆している。自身のもつ多様性の豊かさを認識するといってもよい。自身の内的な多様性を活かすことが高いパフォーマンスにつながるとの実証研究もある。
多様な「異なり」のもつ可能性を信じて、主体的に、自律的に行動すること。
インサイド・アウトの視点から自分ならではのあり方を探ることは、仕事と学びのデザインの基本的なスタンスとなる。
参考:
イントラパーソナル・ダイバーシティ(intrapersonal diversity)についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
短期集中連載「インサイド・アウト – これからの『働く』の方向性を考える」は今回で終了です。全6回の記事をマガジンにまとめましたので、もし読み逃しなどありましたらこちらをご覧ください。
さて、次回からの連載のテーマは自己理解。インサイド・アウトの視点から自己認識を高めることの意義や、押さえておきたい自己理解のポイント、その限界と可能性について考察します。お楽しみに!