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まんがガタガタ道18 ガタガタ道を振り返る

先にも記述したが、私は小学2年から漫画を描き始めている。当時は日中友好で中国からパンダが上野動物園に来た年。パンダがレインボーマンのように様々な状況に合わせて変身して悪をやっつけるお話w ノートを切って折りたたみ、ホッチキスで止めて本にしてました。それをクラスの友人が面白がって読んでくれる。気分はもう漫画家(笑)

当時はギャグ漫画ばかり描いていたような。生憎当時の描いた漫画はほとんど捨てられたけど、小学6年の時の卒業のサイン帳の余ったページに落書きをした。

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こんなのw。思い切りレレレのおじさんのパクリ(^◇^;)

こんな画力でも漫画を描くのが楽しかった頃ですね。小学校で漫画を描いていたのは私だけでしたし。

しかし中学に進学すると、他の小学校から来た奴も漫画を描くと。お互いの絵を交換しようぜというと、、、上手い!!!丁寧!!!リアル!!!(^◇^;)目が点になった。完全に負けた!!(いや、勝ってどうする(^◇^;))

い、いや、まだ中学1年だ。これからもっと絵は変わっていくはず!!と何をムキになったか、そのサイン帳に毎年自分の今描けるベストの顔を残すようにした。


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い、いや、待て!下手になってる!!(^◇^;)この頃は小山田いく先生、金井たつお先生のホールインワンの影響を受けているはずなんだが微塵も感じられない。

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あー、高校1年はラブコメに夢中になってたな。高校2年は少女漫画の影響が。太刀掛秀子先生のミルキーウェイにどっぷりハマり、3年は、、、融合??(^◇^;)

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アシスタント時代からプロ連載までの間の変化。柴田昌弘先生の影響強し。Gペンのタッチとか憧れてました。


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連載当初の絵柄から30年以上過ぎての花組。変わったねぇ、、、。

そう。変わるんです。画力なんて描いていれば色々な影響を受けて変わってくる。何の影響を受けるかは自分次第w

まだまだこれからも変わり続けていく、、かと思いきや、実は3月に漫画家引退宣言をしました。目の病気、緑内障にかかり、右目の視野が半部以上欠けている感じで、ちょうど見たいところの中心すら見えてない状態です。

もちろん両目で見れば辛うじて判断がつくくらいの状態ですが、細かい背景などは、この見えてない一瞬のロスがすごいストレスに感じます。本来は夏前まで続く予定のドクター漫画の連載を、キリのいい3月で切り上げて、4月からは中国で指導を中心に、、と思った矢先にこのコロナ!!!

(#`Д´)ノノ┻┻;:'、・゙; ┳┳ヾ

7月は上海、8月は武漢、9月は南京の予定が、8月までは壊滅的にアウト!9月の南京もどうなる事やら、、。前途多難すぎる。でも漫画家として長くこの世界にいたら、このくらいの危機的状況は何度も味わっています(T . T)。だ、だから大丈夫大丈夫。

漫画家としてあまり多くのヒットは出していませんが、ここまで生き延びれた事に自分自身も驚いています。生き残るコツ、、ってのはよく分からないけど、漫画家って一人だけで仕事するものではありません。よく人付き合いが苦手だから漫画家になりたいという人もいますが、漫画家って人付き合いが一番大切な仕事なのかも。担当さんとの横の繋がり。漫画家同士の横の繋がり。どんどん広がっていき、また仕事の依頼も横の繋がりから増えていく事もあります。

ここから先の指導もまた横の繋がりで、日本、中国全土、アジア全域、いや世界中にまで広がってほしいものです。



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押山 雄一
漫画家志望者に向けた厳しい言葉を投げつけまくる内容のコラムが多いですが、厳しいプロの世界だからこそ甘い言葉は言いません。よかったら是非サポートお願いします。

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