メモリー
先日、父方の祖父が亡くなった。
元々、がんが進行していた。御歳89。抗がん剤治療はしなかった。体力の問題やら歳の問題やらで延命治療はしなかった。
そんな中、病院から電話が来たのは金曜日の午前4時を回った頃だった。
親父のスマホに着信が入り、怪訝そうな表情を浮かべていたのが記憶に残っている。
それを見て俺は、寝ぼけ眼ではあったものの状況を理解した。
それから金曜、土日で手続きを行い、葬儀は日曜、月曜の二日間、親族のみで粛々と執り行われた。
お棺の窓から見える顔は、リアリティのある精巧につくられた蝋人形のようで、今にも目を開けそうであった。
ここまで来ても実感はわかなかった。
その後、ご遺体は霊柩車で火葬場へと向かうこととなった。
俺たちはその後ろをバスで追うようにして向かった。
窓から見える景色は、平和で、誰もご遺体が走り抜けているとは思ってはいない。このバス内だけが異質であると感じた。
火葬場に到着すると、かなりの人がいた。
火葬は20分ほどで終えた。
出てきたものは、骨であった。
さっきまで人間だったものがこんなにも小さくなってしまうのかと少し怖くなった。
物心ついてから初めて死を眼前にしたのだ。
そうしてようやく実感した。
———あぁ、死んだんだ。
不思議と涙はこぼれなかった。
最後に見た顔が安らかだったからだろうか。
そうではあっても徐々に迫りくる喪失感はぬぐい切れないものであった。
妙な喪失感を抱え、葬儀は幕を閉じた。
それからというもの時折、どこか懐かしいお線香の香りが漂うようなことがある。安心するような、背中を押されるような。
その香りが鼻をくすぐるたびに前を向いて歩いて行こうと思うのだ。