いつも気にかけてくれていたのは知っていた。 心配も常々感じていた。 息巻いて上京し辛くなって他人に頼ることはしたくなかった。 バカなプライドのせいで結局迷惑をかけている。 「ごめん。」 絞りだした言葉が謝罪だった。 そんな後悔を晴らすように三島は握る手を強めた。 三島の温もりが手を伝う。 「ありがとう。」 初めて心の底から感謝が生まれた。 三島はホッとしたようにしかめついた顔を緩めた。 「いいのよ。あんたはしばらく休んでなさい。あんたの分の仕事、私が終わらせた
目が覚めると、そこは病院だった。腕には点滴が打たれ、中でポタリポタリと雫が下に落ちていく。前後の記憶が曖昧ではあるが、駅にいたことは覚えている。それからはぼんやり靄がかかったように思い出すことができない。医師曰く、過労とストレス、栄養失調らしい。周りに追いつこうと努力していたつもりだったが、それが仇となったようだ。 ———結局、空回りをしていただけか。 下手なプライドのおかげで病院にいる。そんな自分に恥ずかしささえ覚えた。今はただ、ベッドに寝転がることしかできない。そんな喪失
「暑いなぁ。」 じりじりと照りつく日差しに目を細めながら空を仰いだ。水色の空に入道雲が泳いでいおり、正面には田園が広がっている。周囲に人はおらず、駅員さん一人が立派に仕事をこなしていた。 暑さにだらけた体に活を入れ、俺は実家へと足を進めた。 3年前の大学卒業から上京して就職をした。憧れに満ちた都会で俺は変わりたかったのだ。しかし、憧れは所詮憧れでしかなく、同じことの繰り返しに必死にしがみつくようになった。上京してまでやりたかったことは何だったか、それすらも記憶の彼方へ追
先日、父方の祖父が亡くなった。 元々、がんが進行していた。御歳89。抗がん剤治療はしなかった。体力の問題やら歳の問題やらで延命治療はしなかった。 そんな中、病院から電話が来たのは金曜日の午前4時を回った頃だった。 親父のスマホに着信が入り、怪訝そうな表情を浮かべていたのが記憶に残っている。 それを見て俺は、寝ぼけ眼ではあったものの状況を理解した。 それから金曜、土日で手続きを行い、葬儀は日曜、月曜の二日間、親族のみで粛々と執り行われた。 お棺の窓から見える顔は、リ
時刻は17時32分——— 声をかけたふたりは警官だった。 びくりと肩を震わしていると、通行人の邪魔にならないよう俺を端へと誘導した。 「カバンの中を見せてもらってもいいかな。」 そういったのは、やけにほっそりとした警官だった。 「別にいいですけど…。」 少し口ごもってしまう。 どうして俺が。 とそんなことを聞く勇気も度胸もなく、言われるがままに中身を見せた。 全てを掻き出され、挙句の果てに財布の中まで見られた。 「お兄さんお仕事帰りですか。」 もう一人の背の低
電車に乗ると思っていたよりも人が多く、座れる席がないかと見渡すと、一席だけ空いていた。ゆっくり腰をおろすと、予想だにしなかった深いため息が漏れた。この頃、就活でメンタル的にやられていたのだろう。 この電車に乗るのも残り1年もないと考えると感慨深いものがある。しかしながら、4年目とはいえ情勢的に1年と半年ほどしかキャンパスに通っていない。最も、バラ色のキャンパスライフとは程遠い生活だといえる。 ぼんやりと物思いにふけっていると、妙に幼い声が聞こえた。おそらく小学低学年くらい
「お兄さん、ちょっといいかな」 俺に声をかけたのは、二人組の男だった。 カッチリとした紺色の制服を着用し、前頭から後頭にかけてやや斜め掛けに傾いたつば付きの帽子を被っている。 その状況を把握するまでに時間は労さなかった。 男らが着ていた制服の胸部にはひときわ輝く金色の紋章がつけられていたのだ。そこには、『POLICE』と刻印されていた。 時は遡り、6時間前。 新学期が到来し、もれなく就職シーズン真っ只中に立たされている4月末。 見つめる先はオンライン会議アプリを介
私は、仕事の帰りにいつもとある歩道橋を渡る。 その歩道橋は、横断歩道のある道がなく車の通りが多い道路であるため利便性向上の為に建てられたらしい。 近くには墓地があり、このお盆の季節には御墓参りに来る人が多い。 そんなある日のこと。 私はいつもより早く退社できたため、なんとなく良い気分でコンビニでお酒を買って自宅へ向かった。 コンビニのビニール袋をしゃらしゃら鳴らし、歩道橋へ差し掛かった。 それと同時に夕焼けチャイムがなり始めた。 なんともノスタルジックな気分にな
姉が昏睡状態に陥ってからどのくらいが経っただろうか。 あんなに元気で明るかった姉が、ある時を境に部屋にこもるようになった。 私が中学へ入学した時期に姉は高校へと進学した。 それから半年が過ぎた頃のこと。 突然、なんの前触れもなく、 『学校へ行きたくない。』 と洩らしていた。 別に誰に言うわけでもなく、細々とした声で。 そんな姉を見るのは初めてだった。 「なにか、あったの。」 私は姉に問いかけた。 すると、無理に作った笑顔で 「大丈夫。あんたには心配かけ
2日目 朝起きて熱を測ると38.6°C以前とまだ高いのである。 うーん。腹は減っているが、正直そんなに食べられる気はしなかった。 そのためお粥を一寸法師が入ってそうな小さな茶碗2杯食した。 その瞬間汗がじわじわと出てくるではないか。 汗が出るということは体内の熱を下げる行為であると聞いたことがある。 いい感じなんじゃないか。 そう思うもやっぱり不安は拭えず、昨日と同じように解熱剤を飲薬。 その後シャワーを浴び、冷えピタを貼る。 解熱剤を飲んだあと熱は平熱近く
2021/10/1 13:39 2回目ワクチン投与 針が左肩の肌を貫通した瞬間、チクリと刺された痛みを感じた。 これは1回目同様であった。 左腕全般に僅かな痺れを感じ始めた。 「腕に痺れ等はありますか?」 とワクチンを投与してくださっている女性の方は言う。 その日は酷い台風であった。 低気圧による頭痛を多少なりとも感じていた。 その上、車を待たせている。 早く帰りたい。 その思いから私は誤魔化すように、 「いえ、大丈夫です。」 と言ったのだ。 別に大し
ビルとビルの狭間。 薄暗い空間。 頭上を見上げるとまだ空は朱みを帯びている。 ごくりと唾を飲み、ギュッとショルダーストラップを握る。 室外機が不規則に並び、建物の裏口からのびる階段が見えた。 そこに、1匹のカラスがポツン、と居座っていた。 羽ばたくわけでもなく、鳴くわけでもない。 じっとこちらを見つめている。 隙間から射す光に反射した漆黒の瞳は どこか宝玉のごとく美しく見えた。 すると、前方から一筋の光がさした。 ここを抜ければどこへ出るのだろうか。 この胸の高鳴りは不安だろ
ヂヂヂヂヂヂヂヂ..... セミの大合唱が響く夏の夕暮れ。 私はこの時間がすこぶる好きなのだ。 茜色の夕日が行く先を照らしている。 小さな商店街を目的もなく独り歩く。 あたりには花や八百屋やラーメン屋が建ち並んでいる。 そんな商店街をゆっくり自分のペースで進む。 暑さの干上がりそうになる。 端に寄り、持参したスポーツウォーターを飲む。 しばらく進むと見慣れない路地裏が視界に入った。 どことなく私の冒険心をくすぐる。 夕日はまだ沈んでいない
もしこの世界が平和であるならば、 それはきっと、見ず知らずの他人が命を懸けているからなんだろう。 僕たちは、誰かに守られて生きている。 そんな誰かを護ってくれる人はいるのだろうか。 平等は時に不公平だ。 命を張るものと 何も知らずに笑って暮らしているもの━━。 そんな人たちが世界を創っている。 ビルも車もスマートフォンも。 それらを成り立たせるためにどれだけの犠牲が生まれたか。 それを知らない僕らの日常の歯車は どこかでズレ始めていた。 ーーーーーあとがきーーーー
まだまだ気温が高い今日この頃。 日中はセミの大合唱が外に響いていた。 陽が陰って、月が上ると、鈴虫のチリリリリ..という鳴き声に代わる。 少し外が涼しくなって、ベランダへ出てみると、雲はあれど綺麗に満月とも言えない月が見えた。 深く息を吸い込む。 そしてゆっくり吐く。 深呼吸をすると、一日の終わりを感じた。 鼻につく草の香りも、冬になれば枯れて透き通った冷たい香りに変わる。 夏とは違う、音の少ない夜が少しだけ待ち遠しい。 私は冷やさぬように部屋に戻った。
「彼の具合はどうですか先生」 白衣を着た看護師は男に話しかける。 先生と呼ばれた男は椅子を180度回転させ看護婦の方へ体を向ける。 「今のところ特に変わりはないよ。 こんな世界でひとりずっと、夢を見続けているんだ。」 「夢ですか。」 男は「うむ。」と手を前で組み頷いた。 そのまま続けて言う。 「彼はもう死んだも同然だ。夢を見させることで延命しているといっても過言ではない。」 男はガラス越しに見える病室を見た。 そこには二十歳を過ぎたばかりの少年がベッドに横