負ける建築
◆「切断としての建築」ではなく、「接合としての建築」へ
◆【20世紀前半】建築という存在が絶対的な重さを有していた時代:「建築」対「物」という分割が有効だった
⇒物も建築も含めて、すべてがより軽くなった今、この分割はもはや無効
⇒【現在】「場」と「物」の新しい分割
◆「美しい建築」といわれるよりも、「批評性がある建築」と言われる方がはるかにうれしい
◆20世紀の建築界:「形式」対「自由」の二項対立
⇒冷戦期(巨悪の存在を前提とした時代)において、「勝つ」技法が支配的
⇒現代(巨悪が消滅してしまった時代)において、「勝つ」技法は存在理由を失う。能動性(勝つ)よりは受動性(負ける)に焦点が移る
⇒負けることのかっこの悪さが、逆にかっこいい
◆「巨大な看板付きの建築」ロバート・ヴェンチューリによる指摘
⇒場所・存在・表象は本質的に分裂していて、統合のしようがないという基本的認識
⇒存在が生産サイドのロジックであり、表象が消費サイドのロジック
⇒内部と外部という類別がすでに意味を持たない。すべてが建築という現象の内部でもあり、外部でもある
◆(美女コンテスト的な)美の時代が終わりつつある
⇒視覚的な美というものは、いかようにでも捏造できる
◆求心的でも構造的でもなく、境界も曖昧でエンクロージャーを生成しないやわらかな建築
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