大切な人の大切な人
「自分を大切にしてくれない人と一緒にいても、時間の無駄だと思う。」
少し歳の離れた弟に言われた台詞だ。
弟は、僕が先日フラれた彼女と親交があり、とても仲が良かった。
一緒に飲みに行ったり、キャンプに行ったり、楽しい時間を共有した。
そんな弟に、彼女と先日別れてしまったこと、そして、別れの原因を伝えると、弟は僕に言った。
「ふたりが別れてしまったのは、本当に残念に思う。兄貴の彼女のこと、俺も大好きだったから。正直、ふたりは長く一緒にいそうだな、って思ってたし、ずっと一緒にいて欲しい、そう願ってた。だけど....。俺が、兄貴の彼女を慕っていたのは、兄貴の彼女が兄貴を大切にしていてくれていたから。」
愛する弟にそう言われて、僕はハッとした。
あぁ、そうか。
僕は弟に対して、無条件の愛がある。
それは、きっと弟も同じだ。
家族への愛と、それ以外の人に向けられる愛の種類は違うのかもしれない。
だけど、根本を辿れば同じなのではないかとも思う。
誰かを大切に思うということは、きっとそういうことだ。
大切な人の大切な人は、いつしか自分の大切な人になる。
でも、大切な人を大切にしてくれない人は、大切ではなくなってしまう。
シンプルだけど、感情が絡むと複雑だ。
さらに弟は続ける。
「兄貴の彼女は死んじゃったわけじゃないけどさ。もしあの時、会えるのが最後って分かってたら、『じゃねー!』って、あんな軽い別れ方しなかったかもしれない。でも、別れってそういうもんだよね。突然会えなくなる人って、やっぱりいるんだよな。」
その通りだ、と僕も思った。
別れにもいろいろな種類があるけれど、別れというものは、いつ何時も、突然やってくる。
当たり前は当たり前ではないということを、常日頃、忘れてはいけないのだ。
「人として、すごく大好き。でも多分、友達として...という感情が強いんだと思う。」
彼女にそう言われた時、「それなら可能性はゼロじゃないんだな」という思考に、すぐさまシフトしてしまった僕は愚か者だ。
情けないことに、彼女の気持ちをどうにか繋ぎ止めたくて、必死だったのだ。
そして、いつもの無駄にポジティブな思考が、自分自身を拗らせてしまったのだと思う。今回ばっかりは、自分の首を自分で絞めた。
冷静になって考えてみれば、本気で愛している人に、そんなことは言わない。むしろ、そんな台詞など思いつかない。
僕たちは、お互いを「大切」に思っていたはずなのに、いつの間にか別々の方を向いていた。そして、それが交わることはなくなってしまった。
そこに愛はあるんか?
ふと流れてきたテレビCMの台詞に、胸をグサリと刺される。
きっとそこに愛はあった。だけどそれは、どうやら失われてしまったようだ。
弟よ、ありがとう。
兄貴は、覚めたくない夢から少し覚めたみたいだ。