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選挙に行くのはいつから“善行”になったのか

近年は「選挙に行くのは善いこと」というムードが急速に出来上がっています。もちろん悪いことだとは思いませんが、20年前はいまみたいな「善行」という雰囲気はありませんでした。

政治参加することの意味

日本国民には参政権があり、国の政策に関与することが出来ます。間接民主主義の国ですから、それは「選挙権」や「被選挙権」に直結しています。

国家や社会を一部の権力者が好き勝手につくるのではなく、国民が主権となってつくる。一人ひとりの意志を反映させる仕組みが選挙によって担保されている──少なくとも、それが選挙制度の意図です。

「選挙に行く」というのは権利の行使ですから、一人ひとりにその自由が認められています。これは僕の解釈ですが、義務ではなく権利である以上、棄権することも権利の行使の一形態です。また、日本は義務投票制を採用していませんから、当然です。

しかし、投票を義務だと考える人も相当数います。この雰囲気ならしばらく増え続けるはずです。制度上は義務ではないのに義務としてとらえる人が多いということは、社会の「空気」がそうなっていることの表れではないでしょうか。

社会のために出来ることは他にもある

ここで、義務か権利かという議論は棚上げにして、もう少し根本的なことを考えてみましょう。

まず大前提として、「公共」を扱ているのは、国家だけではありません。人は自分以外の人たちのために、時には見ず知らずの人たちのために、何かしますよね。
例えば地域社会で困っている人が、自分たちのために協力して当面の解決策を講じたり、他の人が助けたりといったことだって出来ますし、実際行われています。それらは、政治や選挙を介さない、一人ひとりの直接的な社会参加です。

選挙は、間接民主主義を通じての国民参加の仕組みの一部です。それはもちろん重要ですが、それだけに注目をして、他のことを視野から外すのはあまりに偏ったものの見方です。

「公共」を国家や自治体に独占させず、自分たちで考えやるべきことはやる。その上で、政治家や行政機関には厳しい監視の目を向ける。投票もいいけれど、そうした観点も大切なのではないでしょうか。

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長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP
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