前に進めない?それって「見えない鎖」が原因かも
形にこそなっていないけど、自分としては精一杯がんばっている。それでも前に進めない──人生にはそんな局面があります。疲れ切っちゃうくらいやっているのに進めないと感じるなら、それは「見えない鎖」が原因かもしれません。
がんばっても前に進めない時
自分なりに精一杯がんばってみても、何のまとまった成果も挙げられない。前に進んでいるのかどうかさえ分からない。そんな体験はありますか?
僕は学生の頃、自分の生きる道を模索しているときに、そういう経験をしました。自分としては限界ギリギリまでやっているのに、誰かに「自分はこれだけやった」と見せられるものが何もないのです。結局、どんなにやってもプラスマイナスゼロで、時間が経過した分だけ自分は周囲から取り残されるのでは…と考えると、心底恐ろしくなりました。
もちろん、前に進めない原因は、僕の力不足でした。でも、それだけではなくて、自分が何に束縛されているのか、それを自覚出来ないことが大きく影響していました。それが表題の「見えない鎖」です。
「見える鎖」には対処しやすい
鎖(くさり)って、人を自由から遠ざける束縛の象徴ですよね。もちろん、表題の鎖は比喩なのですが、そんな鎖にも「見える鎖」と「見えない鎖」の2種類があります。
見える鎖というのは、例えば「束縛の激しい恋人」みたいな存在です。ひっきりなしに連絡が来て、すぐに返事をしないと起こったり会いに来たいする。友達と出かけようとするとそれに介入する。僕自身は経験がありませんが、そういう話ってよくありますよね。
こういうのは「見える鎖」です。自由に生きるために恋人関係を解消するのか、それとも現状を維持するのか、自分で選択することが出来ます。恋人でなくても、「労働時間の長い職場」なんかも鎖になりますね。
やっかいな「見えない鎖」
僕が自分の心身に巻き付いている「見えない鎖」を自覚したのは、鳥山敏子さんのもとで自分の身体に向き合うことに徹底的に取り組んだ後でした。
長くなるので超簡単に書いてしまいますが、僕の生育史を振り返るなかで、「自分のやりたいこと」ではなく「周囲の望むこと」をキャッチしてそのために全てのエネルギーを使い切る──そんな子ども時代を送り、それが当たり前になってしまっていることに気付きました。
書店で下の棚にある本を取るためにしゃがんで、再び立ち上がるときには、いつも膝が痛みました。若者には少ない“症状”だと思うのですが、僕は「みんなもそうなのだろう」と思っていました。痛くてきつくて動けないくらい疲れるのが、普通だと思い込んでいたのです。
常識・社会通念・親からの期待…
ある人にとっては、常識や社会通念と言われていることが、見えなく鎖になり得ます。その枠組みに自分はフィットしないのに、その枠組みのなかで何かを達成しようと努力しても、実を結ばないのは当然です。
またある人にとっては、親からの期待が見えない鎖になります。当たり前のように「いつ結婚するの?」と質問され続け、でも自分は結婚せず独身で生きていきたいと思っていれば、板挟みになりエネルギーがなくなります。「孫の顔が見たい」みたいな言葉は、よくある言葉ですが、よくあると同時に人を縛り付けて動けなくする鎖として働く場合もあります。
僕が仲間とつくった「生き方開発lab」は、そんな見えない鎖を可視化して、その上で新しくて自分らしい生き方を創造する活動をしています。見えない鎖の存在に気づければ、もっと自分らしい生き方が見つかるはずです。