42.195km
2024年2月12日(月・祝)。さいたまマラソンに出場。初のフルマラソン出走、完走。いやはや、まさかフルマラソンを走る人生だとは思っていなかった。
せっかくなので、記録を残す。
本当は走った直後に書きたかったが、ダメージもそこそこにあり1週間経ってしまった。
そもそも。
健康に気をつけるために、身体を動かそうと思って2年ほど前からスポーツジムに通い始めた。
ただ、だんだん「毎月何千円も払うのちょっとしんどいぜ」と思うようになってきた。
そんな時に(というかその前から)マラソンに取り組む先輩の話を見聞きし、「走るのもアリだなあ」などと思っていた。
ざっくり言うとそんな流れで、2023年8月頃よりランニングを開始。この頃は、心身の健康を向上させるための運動という目的で。
そして、その後さいたまマラソンの開催を知り、「オラ!いったれ!」という勢いで参加を決めた。正直、この頃の心境はあまり覚えていない。
レース前日。
ウェアや諸々の準備を進めた。
New Balance、NIKE、JINGER、ユニクロとガチャガチャした。
New Balanceのウェア好きなんだけど、マルチポケット付きのパンツがないのがなあ。機能性でJINGERをチョイス。あと、寒そうだからNIKEの長袖を。
シューズは、onのcloudmonsterとNIKEのPegasus40で最後まで悩んだ。cloudmonsterの方がクッション性もあるしスピードも出やすい印象だけど、自分に合わないのか、たまに足裏が痛くなる。結局、いちばん安心感のある、そして初めて買ったランニングシューズでもあるペガサスをチョイス。
靴下とタイツはユニクロ一択。
レースの目標。
①完走
そりゃそう、初めてだもの。
②サブ4
つまり4時間切り。初心者がまず目指す目標、といったイメージなのでまずはここをしっかり達成したい。ランナーの上位20%と言われているらしい。真偽のほどは分からないけど、まあそんなにイージーな目標ではないということだ。
当日、スタート前。
9:00スタートだが、7:15頃に会場のさいたまスーパーアリーナに到着。
人多いな〜、コンサートじゃん。という印象。ただ、朝7時過ぎという点で特異な光景であった。
これまで小規模なレースでハーフや30kmなどに出たことはあったが、初めてこれだけの規模の大会に出た。おもしれ〜、たのし〜、と思った。語彙を失う空間。
フルマラソンで15000人、他の部も合わせると19000人が出場したらしい。そっか、みんな走るんだ。仲間意識が芽生え、勇気が湧いてくる。
「トイレ混んでますね〜」「頑張りましょう!」などと、名前も年齢と知らない人たちと言葉を交わす。
いよいよ、スタート位置の整列に入る。
この日の最高気温は12℃。朝9時前のこの時点で、5℃ほどだったらしい。幸い陽が当たる位置での整列だったので、寒さはあまり感じなかった。
すぐ近くに、悟空(のコスプレをしたおじさん)がいた。意外と寒くないんだよね、と友人(普通の人間)と話していた。意外なのか?と少し引っかかった。
いよいよスタート。とはいえこの人数。結果、号砲が鳴った約7分後にスタートラインを過ぎた。
サブ4達成のためには、5'41/kmのペースで走りきる必要がある。プランとしては、5'35〜5'40/kmを維持して、早くても5'30/kmより上げないようにしようと思っていた。そう、「思っていた」。過去形。
沿道の声援。このお祭り感。高揚感は拭えなかった。
身体が温まってきた5km以降、ペースを抑えることができなかった。頭では「このままいくと後半失速するぞ〜」と考えているのに、身体が動く。
抑えなきゃ、という気持ちの中に「もしかしたら今日は調子が良いのかもしれない」という慢心があった。
結果的に、悪い意味で気持ち良く、設定ペースより早くしばらく走ってしまった。
自分が幼い頃から知っている土地を、しかも声援を受けながら車道のど真ん中を走るというのは気持ち良くて仕方なかった。
出場ランナーの家族や友人であろう方々、近所の住民であろう方々、給水所のボランティアの方々、太鼓やブラスバンドの演奏など、42.195kmの間ほぼ途切れることなく応援を受けていた。
異変は30km地点くらいから。
「30kmの壁」「フルマラソンの中間は30km地点」というのはよく言われるが、まさにその通りといったところ。気持ち良く走るバカに容赦ない洗礼を浴びせてきた。
徐々に脚に疲れが溜まっていくのが分かった。気持ち良く動かせていた脚が、少しずつ確実に重くなっていく。
「ほら、言わんこっちゃない」と脳が脚に話しかけていた。
31km地点くらいに、Runtrip代表の大森さんがいた。
ランナー以外の人は知らないかもしれないが、ランナーには相当な認知度の方なのではないか。いつもRuntripのYouTube観ています。
大森さんが大声で「サブ4いける!絶対いけるよ!!」と、ものすごい熱量でランナーたちに声援を送っていた。多分、本当にマラソンが好きな方なのだろう。ビジネス的な温度感は一切なく、心からの応援に感じた。重い脚を、なんとか前に進める燃料を得た。
35km地点過ぎくらい。もう一段深刻な異変が起こる。
手脚に痺れを感じ始めた。頭がボーっとする。以前、過呼吸で倒れた時と同じ感覚だった。ただ、呼吸は苦しくないので不思議だった。
痺れているが、動かないわけではない。失速しつつも、歩かず走り続ける。
そして、さいたまマラソンに出走したランナーたちが最も苦しんだであろうポイントを迎える。36km過ぎくらいから始まる、新浦和橋の急坂である。
距離としてはそこまで長くない。普段のジョグで走る程度なら、そこまで嫌ではないはず。しかし、ここまで36kmを走ってきたランナーたちにはあまりにも過酷な坂だった。
私も、痺れる手脚を拵えて、なんとか倒れるような前傾で進んだ。永遠に登りきれないかと思った。頂点が見えているのに、果てしなく遠かった。
参加費を払い、なんなら普段さいたま市に納税もしているのに、なぜこんな仕打ちを受けなきゃいけないのか。
もう、そこからは正直あまり記憶がない。意識が朦朧としていたのかもしれない。
このままいけばサブ4いける、でもこれ以上失速したらいけない。ここまで走ったんだから、なんとか前に進もう、と必死だったことは覚えている。
そして、道端に倒れるランナーが明らかに増えてきたこともまた覚えている。悔しいだろうな、ここまで走ったのに。
40km、41km、42kmと地点を表す看板が見える。普段ならなんでもない距離が、果てしなく遠く感じる。特に、42km以降の195mがこんなに遠いのかと驚いた。
ゴールは、さいたまスーパーアリーナの中。
ゴールしたら達成感とか爽快感とかあるのかな、と思っていたが、そんなことより辛くて仕方なかった。
手脚の痺れが全身に広がっていった。床に座り込みたかったが、脚を曲げて座ることすらできなかった。なんとか余力を振り絞り椅子があるところまで辿り着き、ようやく座り込んだ。
結果。
なんとか、サブ4達成。よかった。本当によかった。
これで「マラソンが趣味なんです〜」と言えるようになったな、という感覚。
速くない。決して速くない。でも、自分の中である程度の努力を積んだ結果ではある。
1年くらい前までは体調を崩しがちで、日常の食事や睡眠さえも上手くできない日々があった。そこからの回復と考えたら、少しだけ自分を褒めたい。
ゴール直後はとても辛くて「もう二度と走るか(怒)」という気持ちだったが、今はまた走りたい気持ちの方が大きい。
生活や仕事のこと、体調のことなどを考えると、ストイックにタイムを伸ばしていくというほどの努力はできないと思う。でも、やっぱり走るからには速くなりたい。足速い方がモテるって聞いたし。
ひとまず、来シーズンに向けてまた1年近くかけて準備をしたい。せっかくだから他のレースも出てみたいし、ランニング友達とかもできたらいいな。結構、ひとりで走るの寂しかったし。
いろいろ書いてたら3000字を超してしまった。
最後まで読んでくれた物好きのあなた、本当にありがとうございます。
これにて私のさいたまマラソンは終了!完走!