見出し画像

やりたいことを義務にしない

今日は休みの日だけど掃除しなきゃなぁと思いながら、だるすぎて二度寝した。
起きてからも明太子味のぼんち揚をバリバリ食べながら寝そべって、スマホを見ていて、今に至る。

やりたいことはいろいろある。
不思議なことで、やりたいことは単純に快楽だけでなく、寧ろやりたくないものを含むことがある。
例えば、掃除は部屋をきれいにしたいという願望と、動くのがだるいという願望の対立する願望を含有している。
遊びですら、友達と会いたいけど外に出るのが嫌な時もある。

でも、好物のぼんち揚を食べるのが嫌だなーと思うことはない。
むしろ、食べすぎだと思っても、手が止まらない。
純粋にやりたいことだけを含むことだと、ぼんち揚のようにもうやめなきゃダメだと思っても止まらないのかもしれない。
それはそれで健康に悪いとか、そういうことは一旦置いておいて、そんなことをぼんやり思った。
私にとって文章を書くのもそうで、頼まれてもいないし誰も見ないかもしれないけど、何となくこうして文字を書き続けている。

つまり、やりたいことができなかった、と思う時、やりたいことにやりたくないことも含んでいるけど、自分の中でやらなきゃだめだと義務化していて、楽しめないのに無理やりやろうとしてるから嫌になるのかなぁと思った。

とはいえ、掃除して綺麗な部屋に住みたいという願望は嘘じゃない。
だから、やりたくなるまで、義務にはしないでいっそやらないでみてもいいかもしれない。
もしくは、やりたかった理由を思い出して、やりたくない理由を少しでも軽くするようにして、義務にならずに、楽しんでやれるようにすればいいかもしれない。

ということで、一旦ごろごろして、掃除するかぁと思う瞬間を待とうと思う。
そんで、掃除スイッチが入ったら、楽しく音楽でも聞きながら、掃除しよう。
休みなんだから、自由に生きていいんだよ、と私は思うのだ。
自分に義務を負わさなくてよい。


【余談】
結局、存分にごろごろした後、立ち上がるついでに掃除するかぁ〜と溜まった埃を綺麗にした。
これはこれでかなりの満足感。

おしまい。


この記事が参加している募集

よかったらサポートしてくれたら嬉しいです!