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脚本家・北阪昌人さんと神保町さんぽ(前編)

数々の脚本を書いていた学士会館談話室の席で

脚本家・北阪昌人。
ラジオドラマの第一人者として数々の脚本を手がけ、その作品は1500作品にも及ぶ。
なかでもラジオドラマ『NISSAN あ、安部礼司』は、神保町好き、ラジオドラマ好きであれば、誰もが一度は聞いたことがあるであろう人気番組だ。
日曜の黄昏時、TOKYOFMにチャンネルを合わせれば流れてくる懐かしい昭和の音楽たち。
主人公の安部礼司は、神保町の会社に勤めるごくごく平均的なサラリーマン。その安部礼司がこの町を舞台に繰り広げるコメディストーリー。
放送開始からすでに19年続いている長寿番組で、間もなく放送1000回を迎える。

その北阪さんとご一緒できる機会があり、せっかくなのでインタビューさせてもらった時のことを書き残しておきたいと思う。

その日は年内で休館に入ってしまう学士会館で「神保町合宿」というイベントを、おさんぽ神保町編集部内で企画していた。
何度か実施していた企画だったのだが、会館に泊まれるのも最後になるのかもしれないということで、本企画も最終回。
そのファイナルイベントのスペシャルゲストとして、北阪さんが全くのプライベートで参加してくださったのだ。
宿泊会場の430号室には8石トランジスターラジオが。
1966年頃の製品で、数ある客室のなかでもこのラジオがある部屋は430号室だけ。なんと運命的なのでしょう。

ジジジ…と流れてくるNHK第一放送では、アナウンサーがニュースを伝えている
神保町合宿の会場となった430号室。
この応接室セットに集合して、広辞苑を使った辞書ゲーム「たほいや」を夜な夜なやるのが合宿の醍醐味

チェックインをすませ、二色で昼食を終えたあと、散歩に出掛ける前に談話室でお話を伺った。この場所で執筆をされることが多かったと、以前チラッと聞いたことがあったからだ。

学士会館1Fにある談話室

北阪さんは大阪生まれ。小学一年生の時、父親の仕事の関係で上京。20代後半になったころ神保町にある出版社で営業マンとして働きはじめ、サラリーマン生活と平行して脚本を書いていた。
脚本家として独り立ちしたのは、50歳になった時で、実はほんの10年ほど前のこと。代表作である「安部礼司」もオンエアからすでに8年ほどが経ち、脚本家としてはギャラクシー賞をはじめ、すでに多くの作品を受賞していたにもかかわらず、サラリーマンを辞めることはあまり考えていなかったという。

そんな頃、執筆活動の場所としていたのが、この学士会館の談話室だった。
新聞をめくる音が大きく聞こえるほど静かで、本を読むにも集中できる落ち着いた空間。このアカデミックな雰囲気が、作家としての素の自分に戻れる場所だった。

「チェーン店のカフェなどで書くとなると、集中を高めるのにすごく時間がかかる。でも、この場所にきたらすぐにエンジンがフル回転になってアクセルが踏める。僕にとってはそういう場所でした」

北阪さんのお気に入りの席は、窓際の長い一枚板のテーブルの端の席。
この談話室は1Fにありながら、少し高い位置から景色を眺めることができる。
この現実の世界からほんの少しだけ高い位置に身を置いて書くというのが、創作する者として居心地がよいのだそうだ。

談話室の窓から白山通りを望む

「白山通りは〝川〟だなと思っていて。この川を渡って向こう岸にある会館に着いて、この談話室の窓際の席に座ると一気に脚本の世界観に入れるんです」

高い天井に深紅の絨毯。喧騒を逃れ、この重厚な異空間に入ったとたん、作家としてのスイッチが入るのだという。
学士会館は旧帝国大学(現在の国立七大学)の出身者で組織された「学士会」が、親睦と知識交流を目的とした場。
アカデミックな人々が出入りする場が持つ残留思念のようなものがその雰囲気を醸し出しているように感じるのだという。

談話室前の深紅の絨毯が敷き詰められた廊下

「この空間が持つ地場の力に、何度助けられたかわかりません」

大きな窓の外には街路樹と白山通り。
木々の移ろいから季節の移り変わりを感じ取れる場所。
この場所で作品と向き合い、時に自身のこれから先のあり方とも向き合っていた。

「この場所で脚本を書く時はいつも夕方。なるべく実際の放送が流れる時間に書くようにしていたんです」

安部礼司のオンエアは毎週日曜の17時。
夕方17時という時間は、季節によって大きく表情を変える時間帯。その景色の移り変わりと、北阪さんの目に映る情景が作品にも影響を与え、リスナーにも伝わっていたのだろう。

この談話室を利用するにあたり、実は北阪さんはずっと気にしていたことがあった。
「もちろん館内のレストランで食事なんかはさせてもらっていたのですが、談話室自体には席料がかからないので申し訳ない気持ちがあって」

そんな少し後ろめたい気持ちで利用していたので、入館時にフロントのスタッフさんと目があうと挨拶をしていたのだという。
するとその方はいつも気持ちよくにっこりと促してくれた。

「すごく優しい笑顔の女性でした。あのスタッフさんも今はいらっしゃらないようですけど。ありがたかった。」

さすがは旧帝国大学のOBが集う倶楽部建築。
敷居が高そうでいて、でもどこかアットホームな、学士達の帰ってくる場所。
この学士会館という場所の懐の深さを感じ取れるエピソードだ。

この場所がなかったら、あの多くの人々の心を動かす名作は生まれていなかったかもしれない。

談話室をあとにして、次はいよいよ神保町さんぽへ(つづく)

※学士会館は2024年12月30日から休館

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