「だから日本に助産師さんが必要です」令和版

出産子育ての喜びや成長、悩みや苦しみはセットです。親になるのに必要な導きは?出産の痛みを乗り越える助けとは?助産師が寄り添う出産体験談が次世代の女性達の参考になるよう、日本の出産環境を考えるグループの集い「Mother with Midwife」が周産期医療に求める声を届けます。

「だから日本に助産師さんが必要です」令和版

出産子育ての喜びや成長、悩みや苦しみはセットです。親になるのに必要な導きは?出産の痛みを乗り越える助けとは?助産師が寄り添う出産体験談が次世代の女性達の参考になるよう、日本の出産環境を考えるグループの集い「Mother with Midwife」が周産期医療に求める声を届けます。

最近の記事

夫の残してくれたこの宝物を、私は精一杯育てていきます

私は出産にあたり二人の助産師さんに助けていただきました。 夫の後天的な病気のために、私たち夫婦には初めから顕微授精しか選択肢がありませんでした。3度目の着床手術で子どもを授かれた時には明るい未来がぱっと目の前に広がるように感じました。 (京都府 北村誌野) 出産は、ゴールではなく始まりだ私は39歳。夫は四肢麻痺の障害があり車いす。自力で病院に来ることができません。出産は必ず夫と共にという思いから様々な可能性を探り、最終的に自宅出産にたどりつきました。 助産師のYさんはまず

    • 女性には助産師さんが必要です。

      小柄な倉島先生は、身長175cmの私がものすごい力で両足を突っ張った時にも「大丈夫だから思い切って力をあずけて。ほら腰をひかないで、う〜んと前に突き出して、両足踏ん張ってごらん」と毎回のいきみで私を力強くリードしてくださいました。 (フランス・パリ 木村章鼓) あまりにも凄い至高体験産前に説明して下さっていたように、一回一回のいきみのエネルギーを最大限に高めたい!そんな先生の熱い想いが、実際の分娩中にも伝わってきました。会陰保護も後から思い出しても完璧でした。 お湯で浸し

      • 「お産が変われば世界が変わる」

        私は産婦人科医です。医学生の時に愛知県の吉村医院に見学に行き、その時に見せていただいたお産に感動して、「こんなお産に関わりたい!」と産婦人科医を目指しました。自然なお産に憧れ、自分の出産のときも当然のように自宅分娩を選びました。 (あつみようこ) 日常の延長にお産がある風景 私には4人子どもがいますが、上の子3人は自宅分娩。陣痛が始まったときも、助産師さんに自宅に来てもらえたので、家族と離れることもなく、日常の延長にお産がある風景はとても素敵でした。 2人目と3人目は、一番

        • 父親になった息子たちにお茶畑助産院を紹介する未来を夢見て

          私は10年間、夫の駐在でタイに住んでいます。長男は13歳、次男は8歳になりました。どちらも助産師の高橋さんにお世話になり、静岡県の実家で自宅出産をしました。 (タイ・バンコク 大杉愛子) 母として育つのを助けてくれた助産師さん初めての妊娠がわかった時は札幌にいましたが、つわりと慣れない雪が怖くて里帰り出産を決めました。自分が生まれた産院も近所の産婦人科もお産を扱わなくなっており、総合病院は健診2時間待ちと聞いて悩みました。ふと、友人が助産院で出産したという話を思い出し、市内

          助産師が活躍できる世の中は女性が女性性で生きていける社会だと思います

          妊娠出産は誰にとっても「女の人生の大転換」 病院で産んだ時も転換はした。家族が増えて母になる…という転換。 でも、自宅出産はそんなものじゃなかった。 "本来のお産" "母性愛" "女性性" "生きることの根源"に目覚めさせてくれたのです。 (広島県 武田 美咲) ウソみたいに本当な自宅出産後の体感その気付きは押し付けられるものでなくて、助産師さんがサポートしてくれる妊娠~お産~産後へと、じわ~じわ~と浮かび上がってきたものでした。 「これは体験した人にしかわからないや

          助産師が活躍できる世の中は女性が女性性で生きていける社会だと思います

          ―ボクがMy助産師を勧める理由―

          二年前の春、僕たち夫婦は妊娠しました。 最初は友人に薦めてもらったクリニックに健診に行っていましたが、そこでは先生と話す時間は10分ほどで「大丈夫、順調ですよ」と確認作業が行われて終了。エコーを見ることが唯一楽しみで通っていました。 (高橋伸吾) 信じられると感じる助産師さんとの出会い しかし、ある助産師さんと出会って世界が変わりました。開業助産師であるその方の助産院に行くと、おばあちゃん家に来たようなあたたかくてホッとする空間。僕は思わず座布団を並べて横になってしまうほど

          自分の体を自分で感じ、生まれてくる赤ちゃんを感じたお産

          私が自宅出産を知ったきっかけは、姉の自宅出産に立ち会った時でした。その時は助産師になるために看護大学に通っている時期でした。経産婦なのに、4cmからなかなか進まない姉に、助産師の田中敬子さんが寄り添っている姿がとても印象的でした。 (広島県 室本 真季) 後悔の残る1人目のお産その後、私は念願の助産師になり、病院に勤めることになりました。姉の自宅出産の立会い経験から自然なお産への憧れはあるものの、病院という環境の中ではそこでのルールや医師の方針に従った分娩介助、それに段々と

          自分の体を自分で感じ、生まれてくる赤ちゃんを感じたお産

          愛おしそうに長男を見つめる長女の目が、記憶に鮮明に残っています

          2017年11月、第二子となる長男を自宅出産しました。長女を産院で出産したときも幸福感に包まれていましたが、それ以上に「孤独」と「不安」が大きく、お医者さんがいないと…、助産師さんがいないと…、これから家で私がこの赤ちゃんを育てるなんてできるんだろうか…と、何をどうすればいいのかわからない状態でした。 そんな私がなぜ第二子を自宅出産しようと思ったのか。それは、助産師の田中敬子さんからの「自宅出産できるよ」という言葉に直感で「ピン」と来たからでした。 (広島県 上原 澄) 「

          愛おしそうに長男を見つめる長女の目が、記憶に鮮明に残っています

          私に産めないわけがない、私が産まずに誰が産むんだ

          今回3回目の自宅出産。きっと最後になるであろう出産で、4人目にして初の娘の出産。改めて妊娠・出産は千差万別だと思った。 (愛知県 ないとうあいり) 世の中は愛にあふれている妊娠中に一番心に残っているのは妊娠37週。今まで順調な経過だったにもかかわらず、夜に急な胃の痛みと吐き気で救急車を呼んだことだ。今まで味わったことのない不安、痛み。痛いから不安なのか、不安だから痛むのかよくわからなかった。 まずはかかりつけの助産師Bさんに連絡。呼吸が乱れてうまく話せない。「自分で歩けな

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          『だから日本に助産師さんが必要です』令和版にあたり

          2001年、全国の母親たちから寄せられた助産婦さんへのメッセージ文集『だから日本に助産婦さんが必要です』を出版しました。当時は、保健婦・助産婦・看護婦を一つにする「保助看一本化案」が浮上し、“助産婦”から“助産師”へ名称が変更され、そして助産婦学校が次々と閉鎖されていた時期でした。 「助産婦がいなくなっては困る」 助産婦のケアを受けた母親たちに声をかけたところ、全国から体験談が寄せられ、分厚い冊子になりました。当時の看護学校、助産婦学校へ寄贈し、当時の助産婦たちの教科書的

          『だから日本に助産師さんが必要です』令和版にあたり

          「だから助産師さんが必要です 」原稿を募ります

          出産はその後の子育てや人生に大きく響く出来事です。 子を宿し産み育てる道のりの宿り木、専門職は助産師です。 助産師のケアを受けてよかったこと、いやだったこと、心に得たことを、あなたの感じたままに教えてください。 あなたのお産にはどんな喜びがあり、どんな苦しみと困惑があったのか。 痛みを乗り越えるには何が助けになり、どんな気づきがあったか。 さまざまなお産体験のストーリーが、次世代のお産する人と、助産に関わる医療者の参考になりますよう、経験者の声を募ります。 <募集要項

          「だから助産師さんが必要です 」原稿を募ります

          暗いところで静かに産みたいと思っていたけれど、動物の本能みたいで嬉しかった

          2020年6月28日、助産師の田中敬子さんのもと、三女を自宅出産しました。3度目の出産にして初めての自宅出産。入院中の上の子たちのお世話を思うと、どうも病院で産むという選択がしっくりこなくて、夫も賛成してくれたので、家で産むことにしました。本当に良い選択だったなと今でも思っています。今までの出産の時に感じたことなどを振り返ってみました。 (広島県 野崎 綾子) 3人目で思い出す長女の出産体験3人目は妊婦健診が毎回楽しみでした。 「今、お腹の赤ちゃんこんなんよ」とイラスト

          暗いところで静かに産みたいと思っていたけれど、動物の本能みたいで嬉しかった

          自然のままに尊重されるお産体験

          令和3年3月。第一子となる男の子を自宅出産しました。 私たち夫婦の希望は、なるべく自分たちの力で産みたい、という事でした。そして、夫の夢の一つは、自分の赤ちゃんを自ら取り上げる事。。。分かった。私に叶えられる事ならやってみましょう!ついでに私は大の病院嫌い。自宅出産以外の選択肢はありませんでした。 (広島県 AKI) 竹ザル入りのボウルと移動する新生児との生活私の希望は、私自身の意見を尊重して見守ってくださる方。あわよくばアロマにも精通している方なら最高。そんな思いで広

          健太は私たちの意図しないタイミングで自分から生まれてきました

          3人目の子ども、健太が産まれてきてくれてから1年が経ちました。あの日を思い出すと、今でも幸せな気持ちでいっぱいになります。 3人目にして初のスピード自宅出産。助産師の田中敬子さんの立ち合いなしに夫が取り上げるというハプニングなお産で、無事に産まれ育ってくれた今となっては、これも楽しい思い出となりました。 (広島県 中本 絢香) 期待と安心に満ちたマタニティライフ当たり前だけど、産まれ方は本当に子どもそれぞれ違うんですね。健太が産まれてきてくれた直後は、突然のことで、すぐ

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          未来へつながるお産のストーリーを

          産み方は生き様と言われます。 また産み方はその後の子育てや人生にも響くと言われます。 子を宿し産み育てる道のりに、どんな困惑があり、どんな苦しみと喜びがあったのか。 困難や痛みを乗り越えるには何が助けになり、どんな気づきがあったか。 さまざまなお産体験のストーリーが、次世代の参考になりますよう、お届けします。 ページの運営は、日本の出産環境について考える女性グループの集合体「Mother with Midwife」がお届けします。 掲載の協力団体は下記のとおりです。

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          1人きりじゃない、信頼できる人の力を借りるお産

           私のお産は2度、4歳の長女と0歳3ヶ月の次女です。長女の出産は麻酔による和痛分娩、次女の出産は自然分娩でした。なぜ自然分娩を選んだのか、自分でもはっきりしませんが、その時出会ったものや人、様々なタイミングが重なり、経験したいと思ったのです。私の2度のお産を振り返りました。 (東京都 安斎 祐子) 長女の妊娠/無痛分娩へのこだわり 自分は死ぬまで働くだろうと、結婚や子どものことなんて考えもしなかった10代。幼稚園の「将来の夢」をテーマにしたお絵描きで、女の子がみんな「花嫁

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