雨上がり散歩し隊
雨が降ると寒いし出かけるのが面倒だ。ジメジメして気分も乗ってこない。私はあまり雨が好きではない。でも、通り雨は好きだ。
急に世界が少し薄暗くなって雨粒が落ち始める。その時の不安感と、雨が上がって空が晴れた時の安堵感。そのギャップが好きだ。
狐の嫁入りも好きだ。関東では天気雨と言うらしい。晴れているのに雨が降っているという、矛盾に近いものをはらんだ不思議さ。そして日光に照らされるきらきらとした雨粒。狐の嫁入りというネーミングもその神秘さを深めている。
夏の通り雨は特にいい。熱のこもった空気が一瞬で冷めて涼しくなる感じ。それでもアスファルトはまだ熱を持っていて、足元からじっとりとした熱気が上がってくる。冷たい空気とのギャップで感じる、生ぬるい気持ち悪さが何故か好きだ。
その生ぬるさを感じるために、僕は雨が上がると散歩に出かける。雨上がりの地面には光の水たまり。街はいつもより色濃く、じっとりとして絵画のよう。そして虹を見つけ小さくガッツポーズをする。
雨上がりは美しい。自分の心が土砂降りの時は、雨上がりの世界の美しさに驚き、励まされる。止まない雨はないなんてベタな言葉を思い出して、少しだけ晴れやかな気持ちになったりする。
雨上がりの散歩で絶対に外せないのが、ミスチルの「通り雨」。まさに今回書いたような事が歌になっている。もう暑い夏が終わる。その熱気を冷ます通り雨も終わる。また来年もこの曲を聴きながら、雨上がりに虹を探しに行きたい。大好きなサビの歌詞で夏とnoteの終わりとしよう。
『通り雨この胸を濡らして、水溜りいくつも作っていく。いつか光が射して、それが乱反射し合って、キラキラ輝くといいのに。』
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