吾輩はダニである。
吾輩はダニである。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で這っていた事だけは記憶している。
吾輩は何人かの仲間たちと1Kの部屋に暮らしている。外に何があるかは知らないし、もしかすると恐ろしい場所なのかもしれない。それはもう1人の住人である人間という大きい生き物を見ているとわかる。
その人間はこの部屋に住んでいるらしいが、部屋にいる時はあまり動かない。部屋にいない時間も多く、戻ってきた時はいつも疲れた顔をしている。こんなに散らかった快適な住処があるのに、わざわざ外に出て行かなくてもいいのに、と思ってしまう。
友人たちの中にはこの人間に近づこうとする者もいる。彼ら曰く、人間は温かくその血はとても美味らしい。しかし吾輩は人間が怖い。あの体で押し潰されてしまったらひとたまりもない。食うものは床に沢山落ちているのだから、わざわざ危ないことをする必要もないだろう。
ある日、キッチンを歩いていると棚の中からとても良い匂いがしていた。魚のような匂いに導かれるままに暗い棚の中に入ると、どうやら袋の中からその匂いがしているらしい。その袋によじ登り中に入る。すると更に細長い袋。だまされた。これでは収穫ゼロだ。と思ったが、その細長い袋の端が少しだけ開いている。何という幸運だろう。吾輩は気づけば細長い袋の中に入っていた。
中はまさに楽園だった。どこを見渡しても素晴らしい匂いの茶色い塊。一生食べるものに困らないのではないかと思えるほどの量がそこにはあった。食べてみると追い求めた匂いと旨みが爆発する。吾輩はそれから三日三晩その楽園を一人で楽しんでいた。
しかし、どんな幸せな夢にも終わりがあるように、楽園も永遠ではない。気持ちよく楽園の中で眠っていると急に外が明るくなった。次の瞬間、楽園は持ち上げられ、揺さぶられ、ついには固い器にぶち撒けられてしまった。
そして吾輩は初めて人間と目が合った。とてつもなく大きい人間がすぐ近くにいる。そして間違いなくこちらを見ている。恐怖で身動きが取れない。
「うわ、ダニ。最悪〜。」
気づいた時には吾輩は楽園ごと何処かに打ち捨てられてしまっていた。吾輩のお話はここでお終いである。
どうやら吾輩がたどり着いた茶色い塊の楽園は、ほんだしとかいうものだったらしい。そして、案外人間というのはユーモアに溢れた生き物だということもわかった。名前のなかった吾輩に、その人間はこう名付けた。出汁を食って育ったダニ、「ほんだに」と。
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